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町田 康の「続・関東戎夷焼煮袋」第30回

【イカ焼き】――フィルムを外す手つきはまるで初めて女に触れるようなそれで

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――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

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photo Machida Ko

 偽りの室でひとりだけ色が違って見えた老紳士は視線の銃弾を一発も撃たなかった。と、私は言った。けれどもそれは視線を向けなかったという意味ではない。というか視線という意味では、老紳士は他の室の人たちより、もっとぐんぐんに私を見ていた。

 ただ、他の人の視線は私の心を貫き破壊し、排撃する銃弾であった。ところが老人の視線は、そうした攻撃性が一切ない、無心の眼差し、であった。

 それは例えば、無垢な子供が虫を眺めるような眼差し。

 偽りの室の大人はゴキブリを不潔・不快なものと決めつけ、排除・排撃、攻撃・糾弾の眼差しでもってこれを見る。しかれども、そうした価値観を有さぬ子供は、一切の前提なしにこれを見る。

 と言うと、「おいおい、俺はゴキブリかいっ」という突き込みを挿し挟みたくなるが、実際の話、偽りの室の住人にとって私は自分たちの領域を侵犯する不快な虫のような存在であったのだろう。

 満員電車やTDLや偽りの室といった、人間性を剥奪された状況下において人間は屢屢、愛しなさい、と教えられた隣り人をそのように扱うようになる。

 ところが、老紳士はそうしたことを一切しないで私を見ていた。それどころか、その視線には、なにか好ましい感じ、っていうのかな、それがなんであるかはわからないのだけれども、私のなかにあるなにかを好意的にとらえているような、そうした雰囲気・ムードというものがあって、ああ、なんて、なんて奇特な老人なんだ、と、心のなかで私は三上寛のように絶叫した。

 そして、こんな偽りの室にもあなたのような人がおらっしゃったこと。感謝いたします。事の性質上、ありがとうございます、とあからさまにいうようなことではございませんので、ああざす、と言うにとどめます。それも心のなかで、と、心のなかで言って、私はもはやかなりの熱を失い、イメージ的には、さっきまでは熱いエナジーを放っていたが死んでしまい、この後、どんどん冷たく固くなっていく一方の鳩の死骸、みたいな感じのイカ焼の包みをいよよ解放した。解放というと違和感があるかも知らんが、偽りの室ではそれがぎりぎりの実感だった。っていうか、ぎりぎりの実感だた。促音なんてあそこにはなかったのだ。

 開ける手ももどかしく、ビニール袋を開ける私の手つき。それは、初めて女に触れる少年の手つき。愛おしい気持ちはあるのだけれども、焦るあまり乱暴な手つきになってしまう。そしてそれに気がついて急に臆病になってしまう。そしてこの場合、イカ焼は同じように無垢な少女なのだろうか。それともすれからしの商売女なのだろうか。

 わからないが、その包装が複雑なのは女の服と同様だった。

 というのは、そう右に言うように、その包装は手を汚さぬよう紙の筒と不透明フィルムの二層構造になっており、紙の筒を下にずらしたうえで、「バナナの皮を剥くように少しずつ」不透明フィルムを開かなければならないのである。また、その外側には白いプラスチック袋もあり、私はコヤマのようにならぬように慎重にプラスチックの袋を取り払った。コヤマは女の服を脱がすときもぞんざいだったのだろうか。

 なんてどうでもいい。まったく今夜の俺はどうかしちまってる。なぜかコヤマのことばかり考えてしまうが、コヤマの情事のことなんてどうでもいい。私にとっていま一番大事なのはイカ焼。それをついつい忘れそうになっちまう。

 気を取り直して紙の筒を下にずらそうとして、ふと、視線を感じ、そちらに目をやると老紳士が興味深げに私の手元を注視していて、そうは言っていないのだけれども、ほう、と言っているようだった。その心内語は概ね以下の如くであろう、すなわち、

「ほう、この若い者(私は若くないが老紳士にとって五十代は若い者の部類に入る)が手に持っているものは、どうやら食べ物らしいが、いったいなんという食べ物だろうか。そして、どんな食べ物だろうか。この者の顔つきや、また、こうしたところで浅ましく貪り食らうという不作法な態度から考えても、およそ教養人の食膳に上るものではなかろうし、私自身、あんなものを食したいとは毫も思わぬが、しかし、興味はある。こうした者がどうやってものを食べるのか、それを観察するのはおもしろきことだ。これは純然たる好奇心だ。奇を好む心だ。ほう。ほう。ほう」

 といった感じで、室にいる他の人々の視線のように敵意や害意はまったくないが、けれども、こちらをその純然たる好奇心の対象としてしか見ておらず、人格をいっさい認めていない、という意味においてはむしろこちらの方が凶悪な視線と言えた。なぜなら相手の人格を認めなければ視線において人はどこまでも無遠慮になれるからである。

 なので、私が最初に感じた、好ましい感じ、というのは、私という人格に対するものではなく、見慣れぬ妙な食べ物を持った妙な奴、に対する興味・関心に過ぎず、そしてそれは珍しい草花や昆虫、ベンチやポスター、電車などと同じ扱いでけっして好意などというものではなかった。というのは、そりゃそうだ。昆虫に人としての好意を向ける人は居ない。

 なので、他の室の人であれば、私が受けた、こっちくんな、という敵意の視線の銃弾に対して、なんだとおっ、という視線の銃弾を撃ち返す、すなわち、睨み返す、ということをすれば、それに対して相手は、目をそらす、または、さらにメンチを切ってくる、という反応を示すだろう。

 けれども老紳士はそうではない。私が睨もうがメンチを切ろうが、こちらの人格を認めていないので、さらに目を輝かせ、

「ほう。私にメンチ切ってくる。おもしろきことだ。ほう」

 と言って、ますます観察してくるに違いない。

 というのは困ったことだし、嫌なことで、というのは例えば、食事をしているとき、まったく識らない人に、「ほう。おもしろきことだ」と言って至近距離から一挙手一投足について注視・観察され、いちいち論評されたらどうだろうか。そう、食べにくい。というか、それが気になって食べることに集中できなくなる。

 なのでやめてほしい。けれどもそれができないのは、さっきから言っている通り、例えば私が面と向かって老紳士に、「ジロジロみてんじゃねぇよ」と、或いはもっと端的に大坂語で、「なにメンチきっとんじゃ、こらあっ」と言論を用いて抗議したところで、「ほう。なにか言葉のようなものを喋っている。おもしろきことなり。ほう」と、さらに興味を深めるのみで実効性がないからである。

 では端的に殴ったら? もちろん、そんなことをしたら傷害事件になって、イカ焼どころではなくなる。ということは私はこの、ほう、的視線に耐えつつ、イカ焼を食するより他ない。

 なので私としては、可能な限り身体を横に向け、口も、ひょっとこのように横に曲げて食べたかったのだが、それはそれで問題があった。

 というのは、紳士の反対側、すなわち右側に座っていたのは若い女であったが、この女が極度にエロティックな、乳や腿を丸出しにした服装をしていて、それはそれで気になるというか、はっきりいって好奇好色の念を抑えられないような恰好で、それはそれで気が散ってイカ焼に集中できない感じだったのである。さらに。

 その女は想像を絶する不細工な女であった。それはもうはっきり言って自然災害のような顔で、土砂崩れというのだろうか、ハリケーンというのだろうか、見ていると心が一瞬で壊れてしまうような恐ろしい容貌の持ち主であった。

 そんな女がそのように見も露わな恰好をして諸人の劣情を不条理に刺激しているというのはいったいなになのか。いったいこの国はどうなってしまうのか。見ているとそんな思いが頭に溢れてきてイカ焼を存分に味わうことができない。

 そしてこの女もまた、私のイカ焼に注視していた。でもそれは老紳士の、ほう、のような私の人格を無視したものではなく、「こんなところでイカ焼を食べるなんてなんて迷惑で非常識な人なの」と言っているような、モロに私の人格に向けられた視線の、そして表情の爆撃であった。女は、「こんなところでイカ焼の匂いを撒き散らすなんてあり得なくない? そのソースが私の素晴らしい胸や足にかかったらどう責任とってくれるの? 私と結婚するとでも言うの? ふん。誰があんたみたいな見るからに貧相なオヤジと結婚するか。東北新幹線に乗り換えて勿来の関に行って、死ね。脚、見てんじゃねぇよ、莫迦」と言っているような顔をしていた。

 その都度、私は、「おまえの顔が非常識じゃ」「誰が結婚するかあ」「じゃかあっしゃ」「脚は確かにみてたけど」と心のなかで反論したが、その反論は女には少しも届いていないようだった。

 左に、ほう、の老紳士、右に不細工なエロ女。いずれも私の手元を注視している。

 そんな状況下でイカ焼はどんどん冷めていく。

 私は、熱々を召し上がれ! というメッセージを受け取っている。は、早く、早く食べないと。

 という心の焦りが災いしたのだろうか、或いは、心の隙間に魔が入り込んだのだろうか。焦った私は一瞬、包装紙の工夫のことを忘れ、本来であれば下にずらすべき紙の筒を、べりばりと破りとってしまった。

 破りとってしまってから、あああっ、しまった。と思ったが、後悔先に立たず、手元には紙の支えを失って極度に不安定な状態となった、半透明のフィルムにくるまれたイカ焼があった。

 その状態の、長さが二〇センチくらいあるイカ焼は、下部をのみを支え持つとグニャグニャしていまにも偽りの室の諸人が踏みにじって吸い殻や埃にまみれた床に落ちていきそうだった。

 私は焦った。焦りまくった。

 その私を老紳士が、ほう、という眼差しでみつめていた。

 不細工なエロ女が、呪いの眼差しでみつめつつ、これ見よがしに足を組んだ。万事休す。

町田康(まちだ・こう)
1962年、大阪府生まれ。作家、歌手。81年に町田町蔵として『メシ喰うな!』でレコードデビュー。著書に『くっすん大黒』(文藝春秋/ドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞)『きれぎれ』(文藝春秋/芥川賞)『告白』(中央公論新社/谷崎潤一郎賞)『宿屋めぐり』(講談社/野間文芸賞)など。近著には『バイ貝』(双葉社)など。

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