──現在、日本のプロ野球界で“黄金世代”と呼ばれる「88年組」。前田健太(広島)や坂本勇人(巨人)らスター選手の中で揉まれた、ヤクルト・上田剛史の告白とは?
(写真/江森康之)
日本のプロ野球界で活躍してきた選手たちの中には、朝鮮半島にルーツを持つ人物が多い。張本勲や金田正一、金村義明ら往年の名選手をはじめ、森本稀哲や金本知憲など、数え上げると枚挙にいとまがない。
そして、2012年から東京ヤクルトスワローズの開幕1軍を勝ち取った上田剛史選手もまた、そのひとりである。注目の88年組で、ミルウォーキー・ブルワーズに移籍した青木宣親選手の後釜としても期待される、球界のホープだ。
本名は周剛史。韓国籍を保有した在日コリアン4世になる。
「これまでも、ツイッターなどでは在日であることを公言してきました。ただ、メディアでしっかりと話すのはこれが初めてです」
プロ野球界には在日の選手が多数いるものの、現役選手の“在日宣言”は珍しく、ネット上などではあらぬ憶測や反応が飛び交った。自らの出自を語る真意は一体?
「人生でも野球でも堂々としていたい。それが一番の理由です。もし、正直に打ち明けて僕を見る目が変わってしまう人がいるなら、それは仕方がないこと。これまで、心ない批難もありましたが、まったく気にしてません」
在日コリアンである両親のもとで育ち、韓国語で親戚を呼び合う環境で暮らしていた幼少期。さらに、小中高と通った日本の学校でも、自分の出自についてはオープンだった。周囲の友人にも自然に受け入れられ、民族的アイデンティティの葛藤を経験することもなかったという。
「それでも、自分を在日コリアンだとはっきり理解したのは中学生の頃でした。先生に卒業証書を韓国名で出してくれって言ったら、『ちょっと待て、それは……』と言うわけですよ。差別的な意味はなかったと思いますけどね」
韓国人ながら日本で生きることに、あまり矛盾を感じたことがないともいう。しかし、そんな彼にも思わぬ瞬間に自身のルーツを目の当たりにすることがあった。
「ヤクルトに入団した頃、インターコンチネンタルカップの年代別日本代表候補に名前を挙げてもらったことがありました。ただ日本野球機構の人は、僕が在日だって知らなかったらしく……。当然、国籍は韓国なので行けなかったんです。正直、悔しい気持ちもありましたよ。僕は日本の野球を見て育ちましたし、代表に呼ばれるのは力を認められた証拠ですから」
政治とスポーツは別物。ただ、国際大会に出場できる力を持った選手にとってみれば、避けては通れないのが国籍問題だ。
「当時は国籍を変えたいとは思いませんでしたが、これから先はわかりません。野球をやる以上、WBCや国際大会に出場するのは目標のひとつですから。在日コリアンの知人や父親は、『韓国代表で出ればいい』なんて笑い話で言いますが、韓国語はしゃべれないし、実際声がかかったらどうするだろうと、本気で考えたりします。もし、韓国代表から声がかかったら挑戦してみたいし、日本代表から声がかかっても行きたい。ファンのみなさんにはWBCに出たいだけじゃないか! なんてつっこまれると思いますけど、野球に対してはそれくらい強い気持ちです」
1970年代に活躍した張本勲は、堂々とした野球人生を歩む陰で、数々の民族的な誹謗中傷も受けてきた。国同士が軋轢を深める中、マイノリティであった在日コリアンの自己主張は否定されてきたのだ。張本は、そんな社会に負けないためにバットを振り続け、偉大な記録を残している。
あれから30年余りが経過した現在、上田選手もまた、堂々と生きていく、その強い決意を見せる。
「僕は日本が好きですし、韓国人選手たちのメンタリティに共感するところもある。それは両方とも否定できない事実です。これから先、球界で僕と同じ立場に立つ人間がいるかもしれない。その人が迷った時、自分の行動がひとつの参考になればいいなと思います」
(文/河 鐘基)
上田剛史(うえだ・つよし)
1988年、岡山県生まれ。関西高校時代、2006年春の第78回選抜高等学校野球大会でハンカチ王子こと斎藤佑樹の早稲田実業と対戦し、延長15回引き分け、再試合を行っている。07年にドラフトを経て東京ヤクルトスワローズに入団。当時の先輩で、メジャーリーグ・ブルワーズに移籍した青木宣親選手に自ら志願して練習を見てもらうようになり、12年からは1軍で活躍している。