もはやどんな事物もテクノロジーと無関係には存在できないこのご時世。政治経済、芸能、報道、メディア、アイドル、文壇、論壇などなど、各種業界だってむろん無縁ではいられない──ということで、毎月多彩すぎる賢者たちが、あの業界とテクノロジーの交錯地点をルック!
[今月の業界と担当者]
スポーツ業界/生島 淳(スポーツジャーナリスト)
──ITの発達により、情報戦が激化しているスポーツ界。中でも世界最大のプロ野球リーグである米MLBでは、データ分析に基づいた戦略展開は常識になっている。さらに、そうしたデータ統計に、選手や監督、コーチだけでなく、ジャーナリストや一般のファンさえも、ネットを使って手軽にアクセスできるようになったのだ。
今期不調な選手が多い日本人メジャーリーガーの中で、数少ない期待の星青木宣親のデータ。
6月19日、ニューヨークのヤンキー・スタジアム。
6月に入って好調のヤンキースの黒田博樹に対して、ブレーブスは6人の左打者を並べてきた。それは明らかにデータに基づいた判断だった。
その時点で、右打者は黒田に対して2割2分1厘の打率しか残していなかったが、左打者は2割8分8厘。「黒田対策には左」というのが各球団の常識になっていたからだ。
しかし、右投手には左、左投手に右を配置するのは至極当たり前の話である。
注目すべきなのは、かつてはそれが「感覚的な常識」だったが、今では細部まで数値化され、それを分析した上での「総合的判断」になってきたことだ。
現在、データを重視しない監督は、メジャーでは絶滅種といってよい。コンピュータの発達によって、この20年間で野球の分析の手法が劇的に進化したからだ。
現実問題として、投手、打者ともに「クセ」が丸裸にされていると言ってもいい状態なのだ。
例えば、今季からレンジャーズに移籍して活躍を見せるダルビッシュ有はどうだろうか。5月下旬から一時期調子を落としたのだが、アメリカでは「各球団がダルビッシュの投球分析を十分に行い、対策を練ってきたから」と見られていた。では、アメリカではどれほど分析が進んでいるのだろうか。
ダルの投球内容がネットで手軽に検索
例えば打者の分析では、膨大なデータを処理した上で、ストライクゾーンを図示して打率の高いゾーンを赤、苦手ゾーンを青で示したりと、打者の特性をグラフィックで表現している。統計的手法とコンピュータの特性を野球の世界に存分に生かすのが今のトレンドだ。
実はアメリカでは野球の統計に関するブログが盛んで、中でも“fa ngraphs.com”は詳細なデータと的確な分析で評価が高い。
このサイトを見るだけでも、どんなタイプの投手や打者なのか、そしてシーズンごとにどんな変化があったのかが手に取るようにわかる。
ダルビッシュの特徴は、やはり変化球が多岐にわたっていること。6月20日時点の球種の割合を見てみよう(カッコ内は球速平均マイル数)。
・ストレート 52・2% (92・9)
・カーブ 15・9%(75・1)
・スライダー 12・2%(82・7)
・カットファーストボール 11・1%(90・1)
・スプリット(フォーク) 7・8%(86・9)
・チェンジアップ 0・8%(86・2)
メジャーの多くの投手を見ると、ストレート、スライダーに加えて1球種、という投手が多いので、このデータからもダルビッシュがいかにたくさんの変化球を使っているかがわかる。
ダルビッシュの場合、カーブ、スライダー、カットファーストボールの割合がほぼ同じ。単純に考えて、打者としては的が絞りづらい。また、ストレートとカーブの差が17マイル、およそ20キロ以上あるので、緩急の差が大きいことがわかってくる。
さらに、今年からヤンキースに移籍した黒田博樹のデータを見ると、2008年のメジャー初年度はカーブの割合がわずか0・2%だったが、今季はここまで9・5%と劇的に増加している。反対に09年には65%以上もあったストレートが今では52%に減っている。
今年のスプリングトレーニングのとき、黒田に投球術について長いインタビューを行ったが、「日本でいう『直球』は、ほとんど投げなくなりました。高めの見せ球か、釣り球で投げるときだけです」と話していたのでデータと符合する。
“fangraphs.com”でストレートとカウントしているのは、いわゆる「ツーシーム」と呼ばれるシュート系の直球のことで、これは打者の手元で微妙に変化する球のことだろう。
このように投手のデータを時系列で追いかけていくと、変化が手に取るようにわかる。
投手側からすれば、データが日々更新されてしまうので、対戦相手は最新の対策を取ってくる。だからシーズン中でも修正や進化が求められるのだ。
ほかにも、アメリカで重視されているフライとゴロの割合や(一般的にはゴロで仕留める投手のほうが好まれる)、打者ではカウントごとの打率など、さまざまなデータがあるので、野球ファンはこのサイトを見だすと、アッという間に時間が過ぎて後悔する羽目に陥ることも……。
感心してしまうのが、これがクローズド・データではなく、インターネットを通じて誰もがアクセスできることだ。
球団関係者だけでなく、一般のファンがこうした情報に簡単に触れられることが、アメリカ野球の土壌を豊かにしていると思う。
情報を消化できる選手が有利な時代
これだけ情報がオープンになっていれば、投手も打者も、お互いの手の内は知り尽くしていることになる。もちろん、実際の対戦が重要なのはいうまでもないが、「予習」はバッチリという状況での顔合わせとなる。
そうなると、選手の能力として「情報活用力」が大切になってくる。現在、メジャーの30球団は連戦が始まる前にはミーティングを行い、対戦相手の情報を共有する。
ところが──。それだけ情報を与えられたとしても、ほとんど気にしない選手もいるのだ。特に若い選手は、自分を過信しすぎて情報に頼らない傾向が強い。若いうちは力で抑えることも可能だ。
反対に数的処理に抵抗のない投手などは、登板前に相手の情報をインプットすることで、リスクを減らすことができると考える。
しかし、メジャーで長くキャリアを積む選手は、例外なくデータを活用している。そうすることが自分の野球人生の手助けになると知っているからだ。
また、相手ではなく自分のデータを活用する選手もいる。自分を知ることで、過去のデータを裏切るような配球をして相手を欺いていく。そして、それがまた数値化され、さらに研究を重ねていく──。
メジャーリーグに登りつめるには素質、才能に恵まれる必要がある。そして偉大な記録や長いキャリアを積むためには、練習や節制といったことも求められる。
それに加えてIT全盛の時代には、情報を消化し、それを自分の味方につけられる選手が生き残っていく。
決して数学が得意である必要はないだろうが、数学アレルギーだと、ちょっとキツい世界になってきたかもしれない。
生島 淳(いくしま・じゅん)
1967年、宮城県生まれ。MLBやNBAなどの海外スポーツから国内のラグビー、駅伝など多方面のスポーツを追うジャーナリスト。「BSベストスポーツ」の司会も務める。『監督と大学駅伝』(日刊スポーツ出版社)、『スポーツルールはなぜ不公平か』(新潮選書)、『浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく』(朝日新書)、『気仙沼に消えた姉を追って』(文藝春秋)など、著書多数。