>   > 田淵幸一強奪事件から、菅野の指名拒否問題...

──1965年にプロ野球へ導入されて以降、ドラフト制度は幾度かの改変を経てきた。ここでは、スカウトや選手が球団の都合やゴリ押しなどに翻弄され、ドラフト制度が改変される転機となった事件を、スポーツジャーナリストの小関順二氏にピックアップしてもらいつつ、その歴史をたどる。

小関順二(こせきじゅんじ)

スポーツジャーナリスト。緻密なデータ収集に定評があり、プロのスカウトやスポーツ業界からの信頼も厚い。著書に『プロ野球スカウティングレポート2011』(廣済堂出版)『プロ野球のサムライたち』(文藝春秋)など。

指名拒否は、5年で300人以上!

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■1965年~1977年 スカウト右往左往の時代
自由獲得競争時代は青天井だった契約金の高騰抑止と、戦力の均衡を目的にスタートしたドラフト制度も、70年代の後半までは過渡期。ドラフト制定前までは、山師まがいの手段で他球団を出し抜き、選手を引き抜いてきたスカウトたちは一転して、純粋な眼力を磨く必要に迫られた。制度自体も不備が多く、最初の5年間は実に約半数が指名を拒否するという散々な結果に。

[田淵幸一強奪事件/1968年]
のちに"空前絶後の大豊作"と呼ばれた68年のドラフトでは、巨人志望を公言していた法政大の田淵幸一を、抽選で3番手につけた阪神が強行指名(巨人は8番手)。会場をどよめかせた。「ドラフトに魅せられたのは、あの痛快な出来事がきっかけ」と小関氏が語るほど、それはファンの脳裏にドラフトを強く印象づける衝撃的な"事件"であった。

制度の穴をついて事件が頻発

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■1978年~1992年 巨人の暗転・西武の台頭時代
王貞治の引退と、長嶋茂雄監督の解任で巨人の凋落が決定的となった80年以降、これに代わって西武が台頭。全権を掌握する球団の編成・管理部長の根本陸夫が、親会社の資金力を背景にその辣腕を発揮し、常勝軍団を築き上げた。ドラフトに漏れた選手を球団や系列会社職員として入社させ、囲い込む根本の常套手段は、のちに他球団も追随。マネーゲームも再燃することに。

[江川卓・空白の一日事件/1978年]
78年のドラフト前日、巨人は交渉権の期限を翌年のドラフト会議の前々日までとした野球協約の穴を突き、前年にクラウンの1位指名を拒否して浪人中だった江川卓をドラフト外契約選手として、ドラフトの前日(空白の1日)に入団を発表した。最終的にこの契約は無効とされ、一連の騒動で巨人へ非難が集中。人気の低迷に拍車をかける象徴的な出来事となった。

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