――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。
人類の文明化は、不快を排除することで洗練化されてきた。人々のふるまいの変化と儀礼化が映し出す、社会、人間の本質とは。自己と他者との関わりについて問い続ける社会学者・奥村隆と語り合う。
今月のゲスト
奥村隆[関西学院大学社会学部教授]
時代とともに変化していく食事作法の不快と洗練。(イラスト:Getty Images)
東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。東京大学文学部助手、千葉大学文学部講師・助教授、立教大学社会学部教授などを経て現職。主な著書に『他者といる技法 コミュニケーションの社会学』(ちくま学芸文庫)、『エリアス・暴力への問い』(勁草書房)、『社会学の歴史 Ⅰ・Ⅱ』(有斐閣)、『慈悲のポリティクス モーツァルトのオペラにおいて、誰が誰を赦すのか』(岩波書店)などがある。
萱野 私たちの日常的なふるまいは時代とともに大きく変化しています。ただ、私たちはその変化にほとんど気付きません。今回は、社会学者の奥村隆さんをお招きして、人々のふるまいの変化からみえてくる人間の本質や現代社会の特質について考えていきたいと思います。奥村さんは、他者とのコミュニケーションを儀礼や身体といったレベルから研究されている社会学者であり、また日本におけるノルベルト・エリアス研究の第一人者でもあります。ノルベルト・エリアスはドイツ出身の社会学者で、『文明化の過程』など、人間のふるまいの歴史的変化についてのきわめて重要な著作を残しています。エリアスに関しては、私の大学院時代の指導教官であったエティエンヌ・バリバールも高く評価していましたが、当時の日本のアカデミズムではなかなかその重要性が注目されることはありませんでした。そうしたなか、奥村さんはエリアスの仕事を包括的かつ精緻に読み解いた記念碑的著作『エリアス・暴力への問い』を出版されました。当時、私はそれを読んで奥村さんの先見性に強く感銘を受けました。
奥村 エリアスはヨーロッパの礼儀作法書などに描かれてきた人々のふるまいの変化を通じて、自己抑制や暴力のコントロールがどのように進んできたのかを描き出しました。歴史的な社会変動を実際に生きている人間の身体的なふるまいから分析するという方法が、エリアスの研究のおもしろいところです。
萱野 この半世紀の日本社会を振り返るだけでも、人々のふるまいは大きく変化していることがわかります。たとえば私が子どもの頃だった1970〜80年代前半ぐらいまでは、道端に痰や唾を吐くという行為は日常的にみられました。また、子どもだけでなく大人も、それこそ酔っ払えば平気で、立ち小便をしていました。しかし、2025年の現代においてはそうした行為はほとんどみられなくなっています。今の学生たちに聞くと、そもそも「唾を吐く」という行為がどのようなものかさえわからない、といわれることもあります。ほかにも、この半世紀の変化としては、“ハラスメント”という言葉が広く社会に定着したことも挙げられます。「セクハラ」という言葉がようやく日本社会で知られはじめたのが昭和の終わりから平成にかけてです。その後、「ハラスメント」という言葉は「パワハラ」や「モラハラ」といったように、さまざまな言葉と結びつくようになりました。では、「痰を吐く」という行為がほとんどみられなくなったり、逆に「ハラスメント」という言葉が広がったりしてきたことの背景にはどのような共通点があるのでしょうか。それは「不快なふるまいを社会から遠ざけよう」という社会的な圧力であり、その結果として、粗野なふるまいが淘汰されていくという現象です。
奥村 エリアスが『文明化の過程』で描いたのも、そうしたプロセスです。人々の不快感が拡大し、不快とされるものが隠され、禁じられていく過程を、彼はさまざまな例を挙げて論じています。たとえば、唾を吐くという行為はかつてのヨーロッパではごく自然な慣習とされていましたが、16世紀の礼儀作法書では他者に不快感を与えないように「足で踏み消す」ことが求められるようになりました。やがて、それも無作法となって18世紀には「ハンカチのなかに唾を吐く」ことが推奨され、19世紀の礼儀作法書では唾を吐くこと自体が「不快なふるまい」とされ、全面的に禁止されます。エリアスは、唾を吐くという行為がこのようにして公共空間から“舞台裏”へ追いやられていき、その過程で人々から唾を吐くという欲求そのものが消えてしまったと指摘しています。
萱野 まさにそれは昭和以降の日本社会で人々が道端に唾や痰を吐かなくなったプロセスと重なりますね。