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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【37】

当事者の告発に乗った糾弾に見える別の思惑――幽霊、性からの逃走に聖痕の闘争を。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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バブル前期の東京で、繁栄の中の衰亡と変わらない生活の風景を撮ろうとした本書が、荒木経惟の最良の仕事だったと思う。

 ハリウッドで性的被害を告発する「#MeToo」が始まった時の感想は、ケネス・アンガーの『ハリウッド・バビロン』が出版され、すぐに発売中止となった半世紀前には「卑俗な醜聞」と切り捨てられていた事柄が切り捨てられなくなった時代の変化を感じたが、政治、スポーツ、アートの領域へカンブリア爆発していくにつれ、これは過去へ遡って既得権益者を断罪する復讐的階級闘争ではないか、と思うようになった。もっとも、「#MeToo」以前の2014~16年には、中学時代の英語の授業でさんざん観ていた『コスビーショー』のビル・コスビーが性的暴行で40人以上に告発されており、突発的に起きたわけではない。人種ネタを笑いに使わないリベラル系黒人コメディアンの断罪は、特権的免罪符としてのリベラルの終焉であり、代わりに誰もがSNS上で「被害者」の聖痕を掲げて参戦できる呪術的バトルロイヤルが始まった。

 もちろん、日本にも舶来の流行として輸入されたが、山口敬之の次に告発されたのが荒木経惟というあたり、なんとも言えない気分になる。「私写真」というタームで性的なモチーフを撮る以上、告発のリスクもあって当然なのだが、当事者の告発に乗った糾弾の中には、別の思惑も見え隠れしている。

 ひとつはサブカルチャーの新旧をめぐる階級闘争だ。80年代初頭、荒木を看板とした雑誌「写真時代」で売り出したのは、かつて筆者が勤めていた出版社だが、筆者が入社した頃にはとっくに休刊し、荒木と会社の接点もなくなっていた。しかし、男子トイレのドアに「社内セックス禁止」と貼り紙されていた「男性的な」会社の体質を考えると、ロマンポルノやビニ本といった男性向けポルノグラフィがサブカルチャーの先鋭的な部分を担っていた時代の成功体験と感覚は、当事者からそうそう抜けるものではない。一方で、70年代後半に生まれた筆者より下の世代は、都市生活者の教養からアンダーグラウンドの野蛮まで、互いに矛盾する振り幅の中で形成されていたサブカルチャーの有り様が理解できない。結果、上京者が意識高くスノッブに食い荒らす「サブカル」へ変質していくのだが、先行する既得権益者たちを憎むあまり、エロ本が文化を下支えしていた時代の記憶すら葬り去ろうとしているようにも見える。男性向けの野蛮なポルノに過ぎないとして。荒木は東京の古き良き風景と猥雑な文化の交錯を撮ることで評価された写真家でもあるのだが。

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