世界的な“むし”の権威が語る!――技術革新で変わる採取と新種の発見
2020年12月21日 11:00
2010年2月10日 10:00
創刊当初より、本誌連載陣のひとりとして執筆していたソフト・オン・デマンド創業者の高橋がなり。2001年より放映された新規事業投資バラエティ『¥マネーの虎』(日テレ)でその知名度を上げ、彼の連載をまとめた『がなり説法』『社長の遺言』(いずれも小社刊)はヒットを記録。また、終わりの見えない不況下において、長年本誌をスポンサードしてきてくれた"奇特"な企業でもある(笑)。そんなサイゾーと深いつながりを持つ同社が15周年を迎えた。そこで、(僭越ながら)サイゾー流に"SOD15周年の軌跡"をたどってみたい──。
今でこそ業界内で一目置かれ、アダルトメーカーとしては珍しく、メーカー名が幅広く認知される「SOD」。しかし、幾度となく訪れた倒産の危機を救ったのは、"お家芸"である"企画モノ"ではなく、今なおカリスマ的地位を持つ、2人のAV女優だった。──森下くるみ、夏目ナナ。彼女たちである。
かつてAVとは、業界の自主審査団体である日本ビデオ倫理協会(通称・ビデ倫)の審査を受け、レンタルビデオ店に並ぶものだった。それを覆したのが、90年代半ばから台頭してきたセルAVだ。
しかし当初は、あくまでもセルはレンタルよりも「格の落ちるもの」とされ、インディーズAVと呼ばれていた。人気女優を使うこともできず、無名女優によるマニア向けの作品が主流だったのだ。
その流れを変えたのが、95年に活動を開始したソフト・オン・デマンド(以下、SOD)である。テレビ業界出身の高橋がなり率いるSODは、それまでのAVの概念を次々と打ち破っていった。96年の『50人全裸オーディション』に始まる全裸シリーズのヒット。それまで一本1万6000円前後が主流であったセルAVの価格を、一気に4000円まで引き下げるという、薄利多売化の価格破壊に成功(00年にはさらに2980円へと引き下げた)。
そして98年には、セルメーカーとしては初めて女優と専属契約を結び、森下くるみという歴史的なスターを誕生させる。ここでSODは、セルビデオと言えば、「企画モノ」か、「レンタルで人気の無くなった女優が出演する、ハードなAV」という常識も見事に壊してしまったのだ。
さらに04年、のちに出演作品の売り上げが累計100万本以上という数字を叩きだすカリスマ女優、夏目ナナがデビュー。企画モノ以上に、女優作品でもヒットを飛ばす、最大手の総合AVメーカーへと拡大していった。
そんなSODの躍進を支えた、森下くるみ、夏目ナナ。現在はそれぞれ、移籍、AV引退、とSODから離れている2人に、まずは、今あらためて振り返るSODについて語ってもらった。
──お2人は、06年の『ストリッパー』で共演なさってますけど、それ以前に交流はありましたか?
夏目(以下、夏) 私がデビューしたのはくるみちゃんがSODから移ってからやったからね。在籍期間は重なってないんですよ。
森下(以下、森) SODの忘年会で何度か顔を合わせるくらいでしたね。
──デビュー前から、SODのことは知っていましたか?
森 私がデビューした12年前だと、SODは誰も知らないようなメーカーでしたね。でも、私はもともとAVを見たことがなかったから、ほかのメーカーも全然知らなかったけど。
夏 私がデビューした時は、ちょうど『¥マネーの虎』で(高橋)がなりさんが有名になってた頃だから、それで知ってましたね。どんなAV作ってるかは知らなかったけど、「がなりさんの会社なんや」って感じで。
01年に高橋がなりがテレビ番組『¥マネーの虎』(日本テレビ)に出演するなど、辛口文化人としてブレイク。"高橋がなりが社長を務める"AVメーカーとして、SODの名を世間にしらしめることとなった。さらに同社の、話題性を重視し、メーカー名を積極的に打ち出す戦略が功を奏す。AVをあまり見ないような層でも「唯一知っているAVメーカーといえばSOD」と連想させるまでに一気に成長を遂げていったのだ。ここからレンタル=メジャー、セル=マイナーという図式も崩れ落ちていくことになる。
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