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矢野絢也・元公明党委員長が告発 "内弁慶"池田大作による党支配の闇

2010年2月25日 15:00

 昨年の衆院選惨敗ショックが今もさめやらぬ公明党および創価学会。今夏の参院選に向け、民主党との連携を模索するのか、はたまた自民党との関係を維持するのかに注目が集まるが、そもそも学会や、それを率いる池田大作氏の実像とは、「政教一致」の実態とはどんなものなのか──?かつての公明党の顔であり、学会の暗部を知り尽くす元同党委員長・矢野絢也氏に聞いた。

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矢野絢也氏
(写真/田附愛美)

 矢野絢也氏といえば、1986年まで約20年にわたり公明党書記長を務め、その後、同党委員長にも就任。長く党の顔として政界で活躍してきた"ミスター公明党"ともいうべき人物だ。その矢野氏が、支持母体である創価学会(以下、学会)から執拗な攻撃を受け、50年以上活動を続けてきた学会を退会したのは08年のこと。直接的な原因は05年、矢野氏が約40年にわたる政治活動の詳細や学会の重要事件の裏表を記録した100冊に及ぶ手帖が、元公明党議員3人により持ち去られる事件が発生(黒い手帖事件)したためだった。矢野氏は、手帖の返還や賠償金の支払いを求めて元議員らを提訴。一審で主張を退けられたものの、昨年3月の控訴審で相手側に300万円の支払いと手帖の返還を命じる逆転判決が下された。最高裁でも上告が棄却され、矢野氏の勝訴が確定。手帖は昨年10月、4年ぶりに主の元へ戻った。

 裁判闘争はこれにとどまらなかった。08年には、学会側から評論活動の停止や学会への寄付を強要されたなどとして、矢野氏が学会および幹部7名を相手に総額5500万円を求める損害賠償請求を起こした。一方、矢野氏が週刊誌上で学会副会長に脅迫されたと証言したことは名誉毀損に当たるとして、同副会長は矢野氏を提訴している(いずれも係争中)。

 矢野氏は、こうした学会との軋轢や内幕を『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』(講談社)として昨年2月に上梓。また、昨年12月に出した『私が愛した池田大作「虚飾の王」との五〇年』(同)では、半世紀にわたり氏が見続けてきた等身大の池田氏の姿が記されている。黒い手帖をめぐる不可解な騒動を終えた矢野氏は、学会や池田氏に今、何を思うのだろうか。

──党の功労者である矢野さんが攻撃された理由は何ですか?

矢野 ひとことでいえば、"知りすぎた"私の存在を恐れたということでしょう。たとえば、手帖には、91年に学会の脱税疑惑が国会で追及されたときに、私が裏で動いた事実も克明に記されています。そのほか、言論妨害事件、ルノアール事件、捨て金庫事件【註1】など学会の暗部も記されている。私を「危険分子だから黙らせろ」ということなのでしょう。

──昨年末に上梓された『私が愛した〜』では、謎に包まれた池田氏の姿が生々しく書かれています。

矢野 これまでも池田氏に関する本は多く出ましたが、崇拝か嫌悪かの両極端で、実像が見えにくかった。彼の生身の姿を記録として残しておくことは、歴史的にも意味があることだと思い、執筆を決意しました。

──矢野さんが初めて池田氏に会ったのは、いつ頃でしょうか?

矢野 53年頃でしたか。僕は大阪の人間で、関西本部の応接間で、東京から指導に来ていた幹部だった池田氏にご挨拶をした。当時から関西では「すごい人だ」と評判だった。演説のうまさは抜きんでていたし、人を引きつける力に満ちていましたね。会長になってからも寿司をご馳走してくれながら「俺はどうしたらいいかな」なんて相談してくれたものですよ。こっちも、ときたま怒らせるようなことを言ったけど、話は聞いてくれた。今は誰も近くに寄せつけませんけどね。

──純粋な宗教家が、どこかで変貌を遂げたのでしょうか?

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