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哲学者・萱野稔人の「"超"哲学入門」第47回

【哲学入門】国家のメンバーシップをめぐる問いに対する、ナショナリズムという一つの解

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(写真/永峰拓也)

『国民とは何か』

エルネスト・ルナンほか(鵜飼哲ほか/訳)/インスクリプト/3500円+税個人の主体的意志が国民を形成するという定義を唱えたルナンの講演「国民とは何か」邦訳のほか、ドイツの哲学者フィヒテによる国民論「ドイツ国民に告ぐ」、バリバール、鵜飼哲らの論考を収録。


『国民とは何か』より引用
国民とは、したがって、人々が過去においてなし、今後もなおなす用意のある犠牲の感情によって構成された大いなる連帯心なのです。それは過去を前提はします。だがそれは、一つの確かな事実によって現在のうちに要約されるものです。それは明確に表明された共同生活を続行しようとする合意であり、欲望です。個人の存在が生命の絶えざる肯定であると同じく、国民の存在は(この隠喩をお許しください)日々の人民投票 〔un plébiscite de tous les jours〕 なのです。

 前回から引き続き、今回もエルネスト・ルナン「国民とは何か」を取り上げましょう。

 かつて日本の哲学・思想界でナショナリズム批判が最重要テーマとして考えられていたとき(90年代後半~00年代前半)、このルナン「国民とは何か」はナショナリズム思想の古典だということで槍玉に挙げられていました。しかし、実際にこのテキストを読んでみると、どうもルナンを批判していた日本の反ナショナリズム論のほうがおかしかったのではないか、ということがみえてきます。

 ルナンのテキストが含意していることを一言でいえば、ナショナリズムとは国家のメンバーシップをめぐる一つの解である、ということです。

 どういうことでしょうか。まず、国家は必然的にメンバーシップをめぐる問いを提起します。つまり「誰が国家のメンバーなのか」という問いですね。日本でいえば「誰が日本国のメンバーなのか」という問いです。

 この問いに対してはただちに「日本国民が日本国のメンバーである」という答えがだされるでしょう。ただ、ここで考えておきたいのは、なぜ国家はこうしたメンバーシップをめぐる問いを必然的に提起するのか、という理由です。その理由は、国家がそもそも集団的な意思決定をおこなう組織である、ということからきています。

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