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小田嶋隆の「東京23話」【17】

【小田嶋隆】渋谷区――瑠璃はいつも食べないことで糊口をしのいでいる

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東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

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(絵/ジダオ)

 京王線の笹塚駅にほど近い線路沿いに、中規模の書店がある。その新宿に本店を持つ書店は、山崎瑠璃が仕事で代々木上原にある事務所に顔を出した折の立ち回り先のひとつになっている。上原三丁目にある小さな芸能事務所から笹塚までの1キロ半ほどの道のりを歩くのは、気分転換に好適だった。事務所に顔を出すと、微妙に気持ちが塞ぐ。その気持ちを整理するために、彼女は歩かなければならない。そういう生活が、かれこれ3年ほど続いている。

 四谷にある中高一貫の女子校に通っていた6年間、瑠璃は空手部の練習に明け暮れる少女だった。だからなのか、同じ四谷にある大学に進学して、雑誌モデルとして活動するようになったこの3年間は、いつも運動不足を感じている。あたしはもっと自分のカラダをいじめないといけない。さもないと、とんでもないデブになる。そう彼女は考えていた。

 もっとも、瑠璃は太った女ではない。むしろ、一般の水準から見れば極端に痩せている。というのも、172センチ48キロのモデル体型を維持するべく、食べるものに気を配っていたからだ。その、決してやむことのない減量圧力が、自分の情緒の安定に良くない影響を与えている。そのことを、彼女は強く自覚している。自分たちの業界の人間は、誰もが、日常的に苛立っている。その理由は、つまるところ、満足にものを食べていないからだ。あたしたちは、飢餓を稼業にしている。食べないことで糊口をしのいでいる。あたしたちは明らかに狂っている。

「仕事は?」

 と、いつだったか、パーティーで会った広告代理店の男にそう尋ねられた時、彼女は

「断食」

 と答えたものだった。

「えっ? だんじき?」

「そう。だからあんたとメシなんか行かないよ」

 男は呆然としている。彼女は、空手の試合で相手の裏を取った時と同じ爽快感を味わっている。

「自分の勤めてる会社の名前をアピールしたいからって、ズケズケと他人の仕事きいてんじゃねえよ」

 と言わなかっただけでもありがたく思え、と彼女はそう考えながら代理店の営業マンを見おろしている。空手のトレーニングをしなくなってから、瑠璃の攻撃性は、いつも空回りしている。

 背後に気配を感じたのは、女性誌の星占いのページをチェックしている時だった。首筋のあたりに呼気があたる奇妙な感触に気づいたその瞬間、男の手が大胆にも彼女の尻をつかんでいた。

 黙って振り返ったのは、すくんでいたからではない。怒りのために息を呑んでいたからだ。

 見ると、四十がらみの小柄な男がこちらを見てニヤニヤ笑っている。余裕の表情というヤツだ。相手が決して声を上げないことを信じ切って安心している狩人の顔。彼女は自分の視界が白っぽく霞んでいくのを感じた。この感じには覚えがある。ずっと幼かった頃、感情のコントロールを失って叫び始める時、いつも目の前が変に明るくなる気がしたものだった。つまり、彼女は、激怒していた。

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