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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【30】

80年周期で繰り返される歴史――幽霊、政治と信仰と破綻の円環構造。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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かつての大衆は現人神を狂信し、今は二次元の美少女たちを消費している。どちらもキャラクターでしかないが。

 筆者は〈元〉批評家だが、専門分野が軽佻浮薄なサブカルチャーなので、政治を語ることはできるだけ避けてきた。半可通が語ったところで床屋政談にしかならないからだが、最近の抜き打ち解散から衆院選、ついでに政界再編で民進党が小池百合子に喰われるという無茶苦茶な状況では、事情通が語っても床屋政談にしかならない。誰が語っても与太話なら、今回はそういう与太話だ。

 陰謀論めいた俗説だが、この国はだいたい80年サイクルで破綻と復興が繰り返されている。だから、明治維新という名の薩長の侵略戦争で江戸上野一帯が死体の山と化した約80年後、太平洋戦争でまた焼け野原になったように、その80年後である2021年以降になんらかの破綻を迎えるのだろうと思っていた。原因は簡単で、太平洋戦争を知る世代があらかた亡くなるからだ。

 例えば、四半世紀前の創価学会は金科玉条のように平和平和と囀っていたが、今は建前で言うだけだ。かつて創価大学でのスピーチで「八王子の橋は全部俺が作った!」と豪語し、聖教新聞の書き起こしからは案の定、削除されていた土建屋の親父みたいな名誉会長も高齢で表舞台に出なくなって久しいが、先日、珍しく神奈川新聞に核兵器禁止条約に関するコラムを寄稿していた。現在の組織の方針と矛盾するコラムに言及することはタブーとなったようだが、結局、この組織が平和平和と囀っていたのは、名誉会長が戦中派だったから。それだけだったのだ。だから、婦人部の武闘派婆さんたちを濡らしてきた稀代のセックスシンボルにして世紀の梟雄が亡くなれば、学園出身の創価官僚たちが粛々と働くスリーダイヤの集金組織でしかなくなるだろう。スリーダイヤが薩長政府の一部である以上、核武装に反対することもない。そもそも名誉会長が先代の跡目争いで教学派の先輩幹部たちに勝利したのは、実践派という集金部隊を率いる金庫番だったからだが、宗教とは金であり、金は力だと知っていた名誉会長も育てた創価官僚たちに財布を握られ、隠居を余儀なくされた。その日が来れば、原理主義者は暴発するかもしれないが、武闘派婆さんたちも棺桶に片足突っ込んでいるから、たいしたことは起こるまい。

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