>   >   > 「“ヤバい九州”論」【1】/【福岡・北九州】相克の近代100年史

暴力団が跋扈し、金塊が強奪され、豪雨に襲われ、絶海の孤島が世界遺産となる――。そんな“アジアに開かれた”都市福岡・博多は、どのように始まり、どこに向かっているのか? 近代以降の“ライバル都市”である北九州市と比較しながら、「北九州・福岡都市圏」の歴史を追う!

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安川財閥の創始者、安川敬一郎。幕末の1849年に福岡藩士として生まれ、大アジア主義を標榜した政治団体・玄洋社にも積極的に資金援助、日本に亡命中の中国の革命家・孫文を匿ったりもした。

 2017年7月の福岡県宗像市・沖ノ島の世界遺産登録や、同7月の同県朝倉市を中心とした記録的豪雨、さらには、昨年より続発する金塊強奪事件や、近年増えている指定暴力団・工藤会絡みの事件など、ここ最近、なにかと話題が尽きない「北九州・福岡大都市圏」。

 現在、同エリアの発展を牽引しているのは、「アジア&九州の玄関口」とも呼ばれる福岡市だ。17年7月現在で人口は約155万人に達し、神戸市やさいたま市を凌駕。今後も日本有数の地方都市として発展が見込まれており、国内、そして国際社会から熱い視線を集めている。

 一方、戦前・戦後、高度経済成長期にかけて日本有数の工業地帯としての栄華を誇った北九州市は、衰退の兆しを見せ始めて久しい。1963年の五市合併により“人口100万都市”の仲間入りを果たしたものの、1980年代後半からは徐々に減少傾向に。2005年には100万人を割り、現在は約96万人都市となっている。

 現代都市としての地位を盤石にしつつある福岡市、そしてそれと反比例するかのように勢いを失いつつある北九州市。その二市を含む北九州・福岡大都市圏ではいま、何が起こっているのか? この小特集ではその仔細に迫るが、まずはこの地の近代史について見ていこう。

「都市機能という意味で考えれば、福岡は日本でもっとも長い歴史を持っています。奴国の時代から換算すれば、およそ2000年。それから一度も都市としての機能を失わずに今日に至っています。見方によっては、京都より長い都市機能を持ったエリアといえるのではないでしょうか」

  福岡の歴史についてまずそう話を切り出し、同エリアの成り立ちについて解説してくれたのは、福岡市博物館の館長にして九州大学名誉教授でもある歴史学者の有馬学氏だ。現在、福岡はアジアに向かって開かれた先進都市というイメージがあるが、有馬氏によれば、それは古来よりのことだという。

「福岡は長らく、大陸から最新の文化、モノ、情報が入ってくる窓口としての場所でした。大宰府などの存在もあり、特に中世まではその傾向が強かった。一方で、新しいものが“通り過ぎるだけ”の中継点にすぎなかった、という一面もあります。それらが蓄積され体系化され新しい文化が生まれていったのは、やはり奈良であり京都であり、江戸ですからね。その上で、都市間競争の観点から見ると、福岡は明治以降ずっと北九州の後塵を拝する存在であったわけです。その関係が逆転した背景には、まさにそうした、ものごとが通り過ぎるだけの土地柄、換言すれば“過去に拘束されない都市の気風”が影響しているように思えます」

常に北九州市の後塵を拝してきた福岡市

 有馬氏の話を理解するためにも、福岡―北九州の関係性を幕末にまでさかのぼってみたい。

 幕末に福岡・北九州エリアで存在感を示したのは、福岡藩だった。あの「軍師官兵衛」の長男・黒田長政に始まる藩主・黒田家の名から黒田藩、もしくは筑前藩とも呼ばれている。

 一般的に、幕末の福岡藩の歴史はネガティブな文脈で語られるケースが多い。大筋としては、“蘭癖”(西洋式の習俗を憧憬・模倣する人々)だった幕末期の藩主・黒田長溥は、西洋の技術の導入など開明的な思想を持ち合わせており、悪化した幕府と長州の間を調停するなど、一時政局の表舞台で存在感を示した。しかし、その政治力の背景であった藩の尊王攘夷派が次第にコントロール不能な存在となり、彼らを一斉に処断せざるを得なくなった(乙丑の獄)。結果、維新の功を薩長にさらわれ、歴史の主役になりそこねた、というものだ。さらに明治新政府樹立後も、藩内の財政状況の悪化を打破しようと「ニセ札事件」を起こし、新政府から厳しい処罰(要人の斬罪、追放など)を受けるなど、時流に乗りきれなかった、もしくは新権力に弾圧され続けてきた「悲劇の藩」として描かれる場合が多いのだ。

「一般的には、『幕末の屈折が近代・福岡の出発点にある』、または『そのルサンチマンの中から大アジア主義を標榜する平岡浩太郎、頭山満らの玄洋社が登場し、冒険主義的かつ過激な人々を生み出す温床になってきた』というような“物語”がありますが、個人的にはそれらは歴史のひとつの見方に過ぎないと思っています。当時、多くの藩が勤王攘夷と佐幕の間で揺れていた。決して福岡藩だけが特別だったというわけでありません。まあ確かに、福岡藩と佐賀藩は交代で、幕府直轄の貿易港であった長崎の警備を担ってきました。幕末、長崎港にはオランダ船やロシア船も来ていましたので、元来、人々が対外的な危機を肌で感じたり、政治的に覚醒をしやすい土壌があったのだとは思いますが」

 そうした“物語”はさておき、実際、旧福岡藩士たちは明治維新を契機にさまざまな活動を繰り広げることになる。その代表的な人物のひとりが、金子堅太郎だ。金子は、岩倉使節団に同行した福岡藩主・黒田長知の随行員となりアメリカに留学。後に官僚・政治家となり井上毅らとともに大日本帝国憲法の起草にも参画している。一方、実業に身を投じて名を馳せた藩士もいた。安川財閥の創始者である安川敬一郎だ。安川は明治初年に学問のために東京に向かうが、兄である幾島徳が1874(明治7)年に起こった「佐賀の乱」で戦死。地元に戻り実家の炭鉱経営を引き継いだ。なお、安川のほか頭山満などほかの“著名福岡藩士”たちも、石炭産業には少なからずかかわっていたという。

 政界・財界に進出した福岡藩士たちのネットワークは、時を経て、現「北九州・福岡大都市圏」の経済的基盤をつくりだすことに寄与し始める。その最たる例は、1897(明治30)年に開庁された官営製鉄所、後の「八幡製鉄所」の存在だ。

「当時、日本全国で官営製鉄所の誘致合戦がありましたが、その調査委員会の委員長が金子堅太郎だったのです。同じ福岡藩士として、炭鉱経営をしていた安川敬一郎とはつうつうの仲ですよね。そのように、明治維新から時間が経過し、藩のネットワークが中央の権力・資本と地元の有力者を結びつける例が増えてきていた。明治20(1887)年前後には、第一次企業勃興で地方の会社設立ブームも起こります。そのようなさまざまな要因が絡み合い、やがて八幡製鉄所などを中心に工業化を牽引する大規模な工業地帯が形成されていきます」

 第一次世界大戦(1914年/大正3年勃発)期には、日本の四大工業地帯のひとつ「北九州工業地帯」としての姿が現われ、現在の北九州市を中心としたエリアは、日本の工業化を牽引する存在となる。

「福岡市は県庁など行政の中心地でしたが、工業化という文脈で見れば北九州の後塵を拝していた。港湾機能でいえば門司港、工場でいえば八幡など、北九州が圧倒的に強かったんです。福岡の政策担当者の人と話していると、『福岡は北九州になれなかった都市』というような声をよく聞きます。つまり、煙突が立ち並び煙がモクモクしているような工業化の時代においては、福岡は北九州には勝てなかったのです。政令都市になったのも、人口100万人を突破したのも北九州市が先。福岡市は常に追いかける立場だったんです」

 敗戦(1945年/昭和20年)前後の福岡・博多湾は、引き揚げや朝鮮人の本国送り出しなどで港湾としては稼働が増えたなどの例もあるそうだ。それでも地域経済全体的に見れば、工業化の中心地となっていた“北九州優位”の時代は戦後になっても続いていく。

 余談だが、北九州で暴力団絡みの事件が頻発することについて、有馬氏は「近代化の中心地となったエリアにおける副作用のようなものかもしれない」と語る。

「筑豊という地域には、川筋気質と呼ばれる独得の気風や風土がありました。たとえば鉄道に取って代わられるまでの石炭輸送は、遠賀川の水運に頼っていました。川艜(かわひらた)と呼ばれる川舟の船頭の間では、荷主の争奪、荷主への脅迫、船頭のケンカなどは日常茶飯事だったのです。そんな気風は、筑豊の炭鉱地帯でも同様。不安定な市場の中で、零細な資本をもって生き残ったのは、胆力に優れ、坑夫を束ねる頭領をさばくことのできる実力をそなえた坑業主だけです。筑豊産炭地は実力――それはしばしば暴力でもありましたが――と駆け引きの世界であり、顔役と無法者の温床と見られがちだったのです」

 話を戻そう。高度経済成長期に当たる1960~70年代までは、近代以降一貫して北九州市の背中を追い続けてきた福岡市だが、1980年代以降から徐々に巻き返しを始める。2000年間、人の往来や情報のハブとしての都市機能を持ち続けてきた福岡市に時代がマッチし始めたのだ。「脱工業化社会」「情報化社会の到来」である。

「オイルショック後に起こった『鉄冷え』と呼ばれる製鉄不況、そして国内的な産業構造の変化などが北九州地域に影響を及ぼし始めます。日本における鉄鋼産業発祥の地ではありましたが、最新設備の工場などは他の県や地域に移動していき、空洞化も進みました。そして、日本の脱工業化=ものづくりの時代の終焉と共に、北九州と福岡の地位が逆転するのです」

 人と情報の中継点として悠久の歴史を持つ福岡は、「国内でもっとも都心に近い空港」といわれる福岡空港、山陽新幹線の終着駅にして九州新幹線の始発駅でもある博多駅の利便性を生かし交通機能が発達するにつれ、より一層、都市としての求心力を高めていく。

「情報化社会では、都市も世の中の劇的な変化にうまく対応することを求められます。過去に縛られない歴史や風土を持つ福岡市は、情報化社会においては有利だったのではないでしょうか」

 なお福岡の代表的な歓楽街に「中洲」がある。その生い立ちもなかなかユニークだ。川と川に挟まれたエリアにすぎない「洲」は、歴史的にも人々の往来があるだけの“無主の地”だ。当然、農民が耕していたわけでもないので、そこから税収が上がっていたわけでもない。何に使えるかわからないその中洲で、幕末の福岡藩主・黒田長溥は反射炉を建設するという実験的な試みも行っている。その後、中洲は官庁街、ビジネス街へと変移し、明治の終わり頃になってようやく歓楽街として形を成し始める。江戸の色町のような伝統によって支えられた場所ではなく、時代の変化を積極的に取り込むことで生まれた、“新しい歓楽街”といえるだろう。福岡という土地の“らしさ”が如実に表れたエピソードではないだろうか?

 人、モノ、情報、文化の往来を取り込み、時代と共にみずからの色を変えてきた福岡市。一方で、近代化と工業化の盛衰の歴史を経験中の北九州市。過去と現在を内に抱えた北九州・福岡大都市圏は、今後、どのような変化を遂げていくのだろうか?

 次記事以降、本稿冒頭でも触れた金塊強奪事件や暴力団の動きなどの背景にあるこの地のウラ社会のありようを、さらいその次の企画では、それとは対をなす北九州・福岡地域のオモテ側――財界の動きなどを追っていく。引き続きお楽しみいただきたい。

(文/河鐘基)

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