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小田嶋隆の「東京23話」【14】

【小田嶋隆】中野区――誰が猫を殺したのか?押しの強い彼女と空っぽな彼

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東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

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(絵/ジダオ)

 中野の駅から北に歩いて、早稲田通りを渡ると、街の区画がほんの少し細かくなる。そこから西武新宿線の野方駅の方向を目指して北西に進むと、街路はさらに狭く入り組んでくる。そんな中野区の典型的な住宅街の中にある、戦災の忘れ形見みたいな一角で、秋山遼太郎は学生時代の4年間と、社会人になってからの2年ほどを過ごした。

 彼が見つけた木造二間のアパートは、中野と高円寺と沼袋と野方の4つの駅のいずれから歩いても15分ほどかかる、奥まった路地の突き当りに建っていた。二階からの非常口にあたる鉄製の外階段は、近所の住民たちがプランターや鉢植えで埋め尽くしている。おかげで、春から夏にかけての一時期は、壁を伝う蔦の葉と鉢から伸びる各種の植物に建物全体が覆い尽くされるように見えた。 

 はじめてアパートを訪れた時、美沙は、

「どうしてまた、あらゆる駅から絶妙に遠い場所を選んで住んでるわけ?」

 と尋ねたものだった。遼太郎は

「静かだからかな」

 と答えたのをおぼえている。

 同じ家賃で賃貸物件を求める場合、交通の便と、部屋の広さと、その他諸々の環境要因のうちの何を重視するのかによって、選ぶ部屋はおのずから違ってくる。遼太郎は、なにより静謐さを重視した。駅からの距離は苦にならない。むしろ、彼は、歩くことを好んだ。アパートに住んでいた頃は、部屋でくつろぐよりも多くの時間を、路上を歩き回るために費やしていたかもしれない。路上の孤独は、室内の孤独よりずっと好ましい、というのが、遼太郎の変わらぬ感慨だった。が、この考えを他人に伝えたことはない。なんとなれば、彼は、自分の孤独を苦にしてはいなかったものの、恥じていたからだ。

 母親と別居して一人暮らしを始めるにあたって、彼は、まとまった現金を渡されていた。カネの出どころは、母親の別れた配偶者、すなわち遼太郎の血縁上の父親だった。その、いまはどこで暮らしているのかわからない父親が、離婚の際に前妻と息子に財産分与として分かち与えたのが、きっかり2000万円で、その金額を彼は、札束の形で、直接、手渡したのである。で、その2000万円のうちの500万円を、母親は、高校3年生の一人息子である遼太郎に、これまたナマの札束として手渡しながら、

「これは、あなたのお金だから」

 と言った。

 大学に入学したばかりの18歳の一人息子に、いきなり500万円もの現金を持たせるのは、無茶な話に見える。普通の母親なら、こういうことはしない。が、遼太郎の母親は、形式や外聞に頓着しない女だった。別の言い方をすれば、彼女は、ごく早い時期から、息子に自立を求めていた。いずれにせよ、その500万円が、手切れ金に近い性質を備えたカネであることを、遼太郎は、よくわかっていた。

 以来、母親とは大学を卒業するタイミングで顔を合わせただけで、それっきり一度も会っていない。

 遼太郎が卒業と就職を報告すると、彼女は

「あんたももう一人前だね」

 と言った。その、台本に書かれたセリフを読み上げるみたいなぎこちない口調に、遼太郎は、彼女の底知れない不器用さを感じた。

 自分自信も不器用な人間だが、母親はそれに輪をかけて対人関係を構築できない人間だった。

「元気で暮らしてください」

 といった、遼太郎の言葉に

「ありがとう」

 と答えたその五音節の日本語が、母親から聞いた最後の言葉だった。

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