>   >   > 【コラム】なぜ松田聖子は娘・神田沙也加の結婚に沈黙したままなのか?
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【premium限定連載】芸能ジャーナリスト・二田一比古の「週刊誌の世界」

なぜ、娘・神田沙也加の結婚に沈黙したままなのか?…週刊誌が追い続けたスキャンダル女王・松田聖子物語【前編】

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――昨年、週刊文春の数々のスクープで改めて存在感を示した週刊誌。世間に注目される記事を作り上げる現場の記者たち。その仕事の舞台裏の歴史を余すことなく明かす。

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神田沙也加オフィシャルブログより

 ミュージカル歌手として独り立ちした神田沙也加(30)が兼ねてから交際していた俳優の村田充(39)との結婚発表があった。本来なら祝福記事で終わるのだが、ここでにわかに注目を浴び、娘の結婚でも主役の座に付いたのが母親の松田聖子(55)だった。

 沙也加も奔放に恋をしていたが、その都度、母親の聖子から反対されたと伝えられていた。30歳になったとたんの結婚発表は私生活でも母親からの独立宣言をするかのようだったが、不可思議な一面もあった。最近の芸能人同士の結婚報告は白の服でツーショット写真がトレンドだが、沙也加は父親の俳優・神田正輝(66)とのスリーショット写真を公開。両親が離婚しているとはいえ、沙也加にとってはかけがえのない父親。彼と報告に来た微笑ましいシーンと考えるのが自然だが、「なぜ神田とだけ。母親である聖子がいない」と不自然さを感じるのが記者の長年培った思考回路である。週刊誌の記事は疑問点から始めるのが基本でもある。聖子とのことは隠そうと思えば隠せた話。沙也加自身が「母にも報告しました」と、嘘でもコメントを出せば済むこと。それを聖子には触れず、質問にも答えない。さらに発表された、神田を入れた写真は「聖子に対しての当てつけ」との見方もされている。おめでたいはずの沙也加の結婚発表が皮肉にも母娘の確執を明らかにさせることになった。母と娘の歯車はどこで狂ったのかー。

「聖輝の結婚」と呼ばれた聖子と正輝の電撃婚は1985年6月。1月に交際していた郷ひろみ(61)と「今度、生まれ変わったら一緒になろうね」の名言を生んだ破局から半年足らずだった。正輝との結婚の翌年に沙也加が誕生。スターを親に持った子の宿命を背負った沙也加。母・聖子が活躍するに従って注目度も増す。

 成城にあった聖子宅界隈は定点観測する週刊誌の目が光っていた。当時、「聖子の記事を載せれば週刊誌が売れる」ということで芸能界では珍しい「聖子番記者」も存在した。特に女性からの関心が高く、女性誌は毎週のように聖子記事を載せた。本人の話が取れるわけでもないので、取材のポイントは業界関係者のみならず、近所への聞き込み。記者の基本として、聞き込みはスクープ記事にも欠かせない。誰が何を知っているかわからないのが聞き込み。数撃てば当たる。数を怠れば話を逃す。これが簡単そうで難しい。誰もが野次馬なら事は簡単だが、余計なことを言わない人もいる。特に高級住宅街となると、明らかな取材は毛嫌いされる。それでもアイドルから成り上がった聖子宅はセレブが住む住宅地でもかっこうのネタ。人の口に戸は立てられない。

「聖子さんは忙しそうであまり見かけない。娘さんはおばあちゃんが面倒見ている。おばあちゃん子ね。学校も運転手が送り迎えしている」

 典型的なおばあちゃん子。何不自由のない生活はあっても、母の愛情をあまり受けることなく幼少期を送った沙也加。一時は「学校でイジメにあっている」「自閉症」という話も流れていた。その要因になったのが聖子の度重なる浮気報道。それは週刊誌の聖子報道合戦の幕開けだった。「離婚必定」・「離婚はない」と対立軸まで生み出し、女性誌報道は過熱。聖子はいっさい口をつぐみ、まるで自分のスキャンダル報道を楽しんでいるようでもあった。97年、聖子と正輝は12年の結婚生活にピリオドを打った。沙也加は聖子に引き取られる形になったが、さらなる試練が待ち受けていた。

(以下、次回につづく)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

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