>   >   > 磯部涼の「川崎」第13回/困窮した子を救う多国籍地区の避難所
連載
磯部涼の「川崎」【第十三回】

【磯部涼/川崎】困窮した子を救う多国籍地区の避難所

+お気に入りに追加

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

1702_kawasaki01_520.jpg
〈ふれあい館〉の職員・鈴木健さんは、音楽祭「桜本フェス」の主催者でもある。

 サンタクロースは誰のところにもやってくるわけではない。家々で歓声が上がるクリスマスの朝、ある種の子どもたちは疎外感を味わうことになる。例えば、戦前、川崎臨海部の湿地帯に朝鮮人労働者が建てたバラック群が基になったため、今でもまるで迷路のように入り組んだ池上町。その路地を遊び場として育った、川崎を代表するラップ・グループ=BAD HOPのメンバー、BARKは、幼少期を以下のように振り返る。「家は貧乏でした。クリスマス・プレゼントとかもらったことないですもん。親に『サンタなんていないよ』って、はっきり言われてましたから」

 2016年12月20日夜。BARKも通い、今も彼のような子どもたちが通う、池上町の隣町・桜本のコミュニティ・センター〈ふれあい館〉では、だからこそ、クリスマス・パーティの準備が進められていた。日本語、韓国語、中国語、ポルトガル語、さまざまな言葉で「ようこそ」と書かれた階段を上がって調理室を覗けば、中学生たちがサンドウィッチや唐揚げといったクリスマス・ディナーの制作に挑戦中だ。それを見守るのは職員の鈴木健。「うるせぇなぁ。わかってるよ、健ちゃん」。心配そうな鈴木に対する子どもたちの口調はきつい。ただ、取材には敬語を崩さないことから考えると、それは彼らが心を開いている証拠なのだとわかる。あるいは、彼らは鈴木がかつて自分たちと同じような子どもだったと、“匂い”で感じているのかもしれない。

 鈴木健は、74年、神奈川県横須賀市で生まれている。母方の祖母は、戦後、夫の故郷である朝鮮半島より命からがら帰国し、米軍基地前のドブ板通り周辺で小さなホルモン焼き屋を始めた。横浜市に越した鈴木も、週末になると基地のすぐ脇にあった教会に向かい、庭で野球をやっては、ボールがフェンスを越えて基地に入るたびに「エクスキューズミー!」と言って投げ返してもらっていたという。そんなふうに、彼は国際色豊かな環境で育った。

 一方で、横浜でも朝鮮系の人々に対する差別は根強く、鈴木もいじめを受けたと振り返る。「それもあり、高校生になるとグレちゃって、遊び回るようになって。で、そんな中で受け入れてくれたのが、なぜか(横浜市中区)寿町のフィリピン人労働者のおっちゃんたちだったんです」。90年代初頭、フィリピン人の労働目的での来日は急増しており、日本三大ドヤ街に数えられる寿町にも何百人ものフィリピン人がいたという。彼らの明るさは鬱屈していた鈴木の心を癒やした。「ただ、そのうちに悪さをして、『少年院に行くか、真っ当になるか選べ』と迫られて。結局、子どもの頃から通っていた教会に受け入れてもらうんですけど、当時、横須賀でもフィリピン人が多くなってきていた。やがて、教会関係の外国人支援団体を通して、彼らのコミュニティづくりにかかわるようになったことが、今の仕事につながっています」

<1702_kawasaki02_520.jpg
〈iPhoneでラップ・ミュージックを流しながら談笑する10代の少年たち。彼らのルーツはそれぞれ異なる。

 また、その頃、在日韓国/朝鮮人の集住地域だった桜本や池上町にも大勢のフィリピン人が転入、それに伴い鈴木も同地へ足を運ぶようになった。そして、2000年代に入ると、かつてジャパゆきさんと呼ばれた在日フィリピン人女性たちが、本国に残したまま10代になった子どもたちを呼び寄せ始める。しかし、いきなり言葉もわからない環境に放り込まれたことでグレていく者も多く、鈴木は彼ら彼女らを更生させようと奮闘する中で、川崎の子どもたちと深くかかわるようになっていったのだった。

 鈴木は自身の活動を振り返り、川崎の子どもたちに重大な影響を与えたのはほかでもない、08年に起こったアメリカ発の金融危機、いわゆるリーマン・ショックなのではないかと言う。「それまで、フィリピンやブラジルやペルーの子どもが荒れていたのが、リーマン・ショックで不況になったことにより、日本の子どもも荒れ始めた。印象に残っているのは、朝日新聞でやっていたロスジェネの連載(07年)で、若者が『オレが働いてる工場、外国人ばっかりだ』って嘆いていたんですね。要するに、以前は、日本人が外国人労働者のレベルに転落していくイメージだった。それが、底辺で横並びになってしまったのがリーマン・ショックなのかなって」

 実際、その話は、BAD HOPがカンパと呼ばれる上納金を賄うために犯罪に手を染めて逮捕された時期とも符合する。一方で、彼らが「コリアン、チャイニーズ、南米、つながれてる/川崎のウィー・アー・チェイン・ギャング」とラップしたように、社会の底で生き抜く子どもたちの間では、人種を超えた連帯が起こっていた。「やんちゃっ子のグループって、多国籍ですよね。でも、母子家庭っていう共通点があったり。ルーツでつながるより、ほとんど”匂い”でつながるっていう」。そして、そんな大人からは見えにくい子どもたちのネットワークに入り込むのが鈴木の仕事なのである。

親から子へ受け継がれる虐待 川崎に相変わらず残る負の連鎖

1702_kawasaki03_520.jpg
左上:〈ふれあい館〉の玄関ロビーで目に入ったのは、「ようこそ」とさまざまな言語で書かれた階段。 右上:桜本の祭りで使われる太鼓が保管されていた。左下:訪れた12月20日の夜は、ちょうどクリスマス・パーティが行われていた。 右下:本棚には外国語で書かれた本もあった。

 取材の間、テーブルに置かれた鈴木のスマートフォンはひっきりなしに振動していた。子どもたちから続々とLINEでメッセージが届くのだ。慣れた手つきで返信しながら、「携帯代が払えなくて止まっても、Wi-FiがあればLINEは使えますからね。子どもたちにとってはまさにライフ“ライン”なんですよ」と言う鈴木が同サービスを始めたのは、15年2月にくだんの中1殺害事件が起きた際、周囲の子どもをケアするためだった。彼は「あまりにも身近なことなので、事件についての具体的な話はノーコメントにさせてください」と断った上で、「メディアでは“SNS時代ならではの新しい形の事件”みたいな報道をされましたけど、あれはこのへんのような狭い地域特有の、子どもたちのつながりにおいて起こった、むしろ伝統的な事件だと思います」と所感を述べる。

 確かに、取材をしていて印象的だったのは、子どもたちの多くが加害者グループを知っていたことだが、その情報がウェブであっという間に拡散されてしまったのは、やはり、SNS時代ならではの現象だろう。もちろん、鈴木が子どもたちのネットワークに入り込むことができたのは、LINEというよりは、ソーシャルワークの伝統と、なにより彼の努力によるものである。「やんちゃな子どもたちって孤立はしていないんですよ。仲間がいて、でも、その中でこじれていく。だから、僕も1対1で関係をつくるというよりは、彼らの人間関係に入れてもらう。難しいことだけど、できると大きく変わる。例えば、一番ヤバい子って〈ふれあい館〉には来ないんです。大体、出くわすのは公園。で、そのとき、彼とたむろしている子の何人かを知っていれば、『〈ふれあい館〉のヤツだよ』みたいな感じで紹介してもらえる。それが糸口になる」

 そして、鈴木は試行錯誤を続けるうちに、川崎が変わりつつあることを感じるという。リーマン・ショックの影響は弱まり、BAD HOPが成人を迎えたように子どもの世代は入れ替わっている。「いわゆる“川崎なるもの”は、過去のものになってきている気がします。子どもたちは、先輩のそのまた先輩くらいのやんちゃな話を、まるで、都市伝説みたいに話している。見るからに不良っぽい子も少なくなった。でも、相変わらず、“それ”は残ってもいて。虐待を受けていた子が親になって、自分も虐待してしまうような負の連鎖は続いている。で、昔だったら、みんな、同じような環境で育っていたので、ひどい状況を共通体験にすることができた。それが今は、“川崎なるもの”に取り残された人たちが、他者の眼差しによってさらに深く傷ついている」

1702_kawasaki04_520.jpg
〈ふれあい館〉を手伝う金素羅(きむ・そら)さん。

 ただ、残された“川崎なるもの”はネガティヴな面だけではない。「例えば、近くの〈まーちゃん〉って居酒屋の父ちゃん母ちゃんには、ドツボにハマっている人を受け止めるような暖かさがあるんですね。何かをよくするというよりは、ただ単に受け止める。僕自身、川崎に来た頃は離婚をしてドツボだったので、この街の暖かい面を身をもって知っている。昔はそういう懐の深さってどの街にもあったんだろうけど、川崎にはまだ着実に残されていると思いますね」

 もちろん、〈ふれあい館〉もそのひとつだ。16年11月20日、桜川公園で開催されたイベント「桜本マダン」では、同館に受け止められ、そして、自分の足で歩き出した子どもたちの姿を見ることができた。16年2月に「桜本フェス」でiPhoneを見ながらアリアナ・グランデを歌っていたナタリーは、それをアコースティック・ギターに持ち替え、ルーツであるフィリピンのポップ・ソングをカバーしていた。傍らでは彼女の生まれたばかりの子どもを〈ふれあい館〉の職員・崔江以子が抱える。続いて登場したラッパーたちの中には、15年11月、桜本を標的にしたヘイト・デモに抗して、泣きながらスピーチを行った中学生の姿があった。現在、鈴木と桜本出身のラッパー・FUNIは、彼らとレコーディングを進めている。メンバーの一人が、ステージ代わりのブルーシートの上で叫ぶ。「そこら辺の下手な大人よりかまともな信念持ってやってるから/マジメに闘ってんだ/桜本安寧/それで十分だな!」

 そろそろ、クリスマス・パーティが始まる時間だ。鈴木はこう言って話を締めた。「今までこのあたりは閉ざされた空間だったと思う。川崎区のほかの地域から来た中学生の親御さんから、『私、小さい頃、親に桜本だけは絶対行くなって教えられてたんです』って言われたこともある。ただ、閉ざされていたからこそ、さっき話したような暖かさも育まれた。で、今考えているのは、これからはむしろ地域を開かれたものにしていって、その暖かい部分でもって、外でしんどい思いをしている人たちも支えられないかなっていうことなんです」。〈ふれあい館〉に通っていたBAD HOPは、過酷な状況から抜け出した体験をラップし、今や全国の若者に希望を与える存在になった。サンタクロースがやってこなかった子どもでも、サンタクロースになることはできるのだ。(つづく)

(写真/細倉真弓)

磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

ログインして続きを読む
続きを読みたい方は...

Recommended by logly
サイゾープレミア

2017年6月号

「教育勅語」とはなんだったのか?

「教育勅語」とはなんだったのか?
    • 【教育勅語】の歴史学
    • 【教育勅語】と天皇
    • 【教育勅語】口語訳全文

三上悠亜が語る「アイドルの終焉」

三上悠亜が語る「アイドルの終焉」
    • 三上悠亜「アイドルになりたかった」

インタビュー