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写真時評~モンタージュ 現在×過去~

澤田教一と「アメリカの戦争」(下)

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王城で解放戦線と戦闘を繰り広げる米軍兵士(フエ、南ベトナム、68年2月14日)

 澤田教一の代名詞ともなった《安全への逃避》は、1965年7月にUPI通信社サイゴン支局に赴任してから2カ月足らずのときに、ほとんどビギナーズ・ラックといっていいような形で撮られたものだ。その後、わずか5年の間にハーグ世界報道写真展第1位、ピュリツァー賞など名だたる賞を総なめにしていく。中でも当時の同業者がその迫力に舌を巻いたのが、68年の2月にフエの攻防戦を取材した写真であった。

 68年1月30日、北ベトナムおよび南ベトナム解放民族戦線(以下、解放戦線)は、南ベトナム政府軍に対して「テト攻勢」と呼ばれる一斉攻撃を仕掛けた。「テト」とは、春節(旧正月)のことで、休戦とするのが暗黙の了解であったが、この隙を突いての奇襲となった。グエン王朝の旧都・フエは解放戦線に占拠され、澤田は増援に向かう海兵隊のヘリに同乗して取材に赴いた。

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