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小田嶋隆の「東京23話」【1】

【小田嶋隆】新宿区――いつの時代も、どの路地も、酔っ払う街で出会ったヤクザの話

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東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

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(絵/ジダオ)

 この「東京23話」の連載をはじめるにあたって、私は、これまでコラムやエッセイを書く上で自らに課していた決まりごとのひとつを解除しようと考えている。それは「本当のことを書く」という縛りだ。

 コラムは、小説ではない。事実と真情を書くことが前提になっている。コラムニストがウソを書くと、コラムはコラムでなくなる。だから、ふだん、私は、原則として、事実に即した書き方を心がけている。

 けれども、当連載では想像上の出来事を書くことへの禁忌を緩めるつもりだ。というのも、街についての記憶は、必ずしも固定的な事実に関連付けられたものではないからだ。たとえば、今回書こうと思っている新宿について、私は、相当数の映像や会話の切れっ端を記憶している。これを、事実通りに並べ直すと、かえってリアリティーを損なう。なぜというに、私の脳内にある新宿は、私個人の体験や記憶の上に、新聞記事や、死んでしまった古い友人の逸話や、誰かから聞き齧った真偽不明の噂話が折り重なるようにして融合したアマルガム(混合物)だからだ。その虚実入り混じった異形の半固体としての新宿を、原型を損なわないカタチで文章の中に再現するためには、フィクションの要素を取り入れた方がふさわしい。具体的には、主語の使い方と視点の置き方にある程度の幅を与え、時間の経過と人々の関係を、物語の流れに沿って再構成するつもりでいる。

「なんだ、小説じゃないか」

 と思った人はそう考えてもかまわない。年月を経た記憶は、そもそもフィクショナルなものだ。

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