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神保哲生×宮台真司「マル激 TALK ON DEMAND」 第105回

疑問が残る原発再稼働――その、民意なき決定の背景

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――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

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『原発再稼働までに何が起きたか 「反原発」からトンデモ判決まで』( 産経新聞出版)

[今月のゲスト]
吉岡 斉[九州大学大学院教授]

――安保法制や2020年東京五輪をめぐる問題がメディアを賑わせる中、九州電力川内原発が再稼働された。安全面や政府の対応を非難する報道が多く見られたが、先の原発事故により設置された、政府事故調査委員会委員を務めた九州大学大学院吉岡斉教授は、今回の再稼働はあり得ないものだったという。

神保 8月11日、九州電力川内原発の1号機が再稼働されました。日本が原発をどうするかについてはまだいろいろと議論しなければならないことが残っていると思いますが、そうした議論がないまま、再稼働だけが粛々と進んでいます。

宮台 戦前から続いてきた日本の行政官僚たちの動きを見れば、「最初に結論ありき」で、すべてが結論に向けたアリバイづくりにすぎないことがわかります。審議会、検討会、パブリックコメントなどが、そうしたアリバイとして使われてきました。それどころか、安保法制を見てもわかるように、国会審議までもがそうです。川内原発も、9月再稼働のスケジュールが最初にありきでした。安倍晋三が悪いという見解は、短絡的すぎますね。

神保 宮台さんがよく「熟議」という言い方をしますが、3・11以降、日本は原発についていろいろと議論を重ね、市民社会はいろいろ大切な教訓を学んできました。しかし、ここにきて、まるで事故などなかったかのように普通に原発政策が復活してしまった。それで本当によかったのかについては、しっかりと考えなければならないと思います。

 ゲストは九州大学大学院教授の吉岡斉先生です。宮台さんとの共著に『原発 決めるのは誰か』(岩波ブックレット)があり、政府事故調の委員もされていました。ご専門は科学技術史、科学技術社会学という分野だそうですね。

吉岡 私が大学院に入ったのは1976年。60年代末~70年代にかけて、ベトナム戦争や公害などが話題になり、その悲惨さを著しく増幅させた科学技術に対する批判が吹き荒れた時期がありました。そこで私も科学そのものの研究者となるより、科学活動を対象化し、その構造と病理を学問的に分析したいと思いました。そして80年代末くらいからは、主たる対象が原子力に絞られてきました。

宮台 吉岡先生はご著書の中で、政治の歴史と原発の歴史が深く結び付いているということを詳しく書いてらっしゃいます。今、若い人たちがこの歴史をわかっていないので、原子力の問題をただ安全性の観点だけから議論すると、「なぜ原発がそれでも動いているのか」ということを説明できなくなってしまいます。

 先日、家を整理していたら、アメリカ肝入りの原子力平和利用博覧会が日本で開かれていた、55~57年までの只中で出版された、小学館図鑑シリーズ第9巻『交通の図鑑』が見つかりました。見開きのページが飛行場で、原子力輸送機、原子力旅客機、原子力小型飛行機を紹介。次は港湾施設で、原子力潜水艦、原子力貨物船、原子力客船、原子力ホバークラフトを紹介。さらにページをめくると宇宙開発で、原子力ロケットが出てきます。

 これには本当にワクワクしました。だから僕は小学校6年生の作文で、将来はスペースコロニーで原子力の研究をするんだという夢を書きました。そうした子どもは当時珍しくありませんでした。思えば、これこそがアメリカによる情報戦の目的だったことが今にしてわかります。当時は朝鮮戦争(53年7月休戦)直後で、熱戦化の可能性もありました。

 そんな中で54年3月に第五福竜丸被ばく事件が起こり、日本の反核反米世論の盛り上がりを恐怖したアメリカが、早くも4月に原子力平和利用博覧会開催の検討に入った経緯があります。さっき言ったように、子どもたちに夢を与えて多数の原子力技術者が誕生しましたが、年長世代には、第一に原子力平和利用が原爆の贖罪になると考えられた一方、第二に敗戦のパワーレス感を埋め合わせるものだと考えられたことがあります。

神保 核オプションも含めて、ですね。

宮台 そう。核拡散防止条約の批准をめぐる69年の外務省内部文書に、いつでも原爆を作れると思わせることで潜在的核抑止力を手にするべく原発を推進すべきだと記されています。こうした重要政策が外務官僚の思いつきというのはあり得ず、政権中枢が述べ伝えてきたことであるのは間違いありません。いずれにせよ、広島と長崎の原爆体験があった「からこそ」、原子力が「夢のエネルギー」として明るく強くブーストされていました。

吉岡 しかしながら、今となっては、原子力が役立つ分野は決して広くありません。原子力発電のほかにも、さまざまな分野で実用化のための研究が行われたものの、結局、全部ダメだった。例えば「原子力飛行機」であれば、ウランは1グラム当たり石油の100万倍くらいのエネルギーを内包していますから、計算上は、地球を何周も燃料を補給せずに飛べることになりますが……。

宮台 図鑑にも書いてありました(笑)。

吉岡 それがアメリカがソ連を攻撃する上で理想的だと言われていたのですが、実際は原子炉が重くて機体が持ち上がらない。また原子力船も、商業用としてはインフラにお金がかかりすぎるし、港湾に核燃料設備を置くことにも無理がある。結局、利用できたのは、原発と原子力潜水艦だけだった。あとは原子力空母くらい。「夢のエネルギー」というのは、一過性の幻想だったのです。

神保 それは「見込み違い」だったのでしょうか。それとも、政治的な意図があって誇張されてきたものが、バレたということなのでしょうか。

吉岡 誇大宣伝だったと思いますが、それは政治というより、むしろ科学者、技術者側から出てきたものです。つまり、彼らが実用的な商品でないものを研究開発する場合には、政府からお金を引き出すために宣伝をしなければいけない。科学者や技術者の社会的発言を信用してはいけない、という教訓だと思っています。

神保 総論的なことを伺いますが、川内原発が新基準のもとで最初に再稼働されることになりました。吉岡さんは、これをどうご覧になっていますか。

吉岡 そんなに悪い展開ではない、というのが正直なところです。事故から2~3カ月の間は、私は原発の再稼働問題がこれほど長期化するとは思っていませんでした。当時の菅直人首相がストレステストを言い出した7月頃から流れが変わり、国民が阻止に動いた面がかなりあると思います。街頭デモが大規模に行われて、結局、再稼働が正規の手続きを踏むには、まずは原子力規制委員会をつくり、新規制基準を設けなければいけない、ということで、4年という歳月をかけてようやくここまでというところ。推進したい側は、非常につまずいたと思います。

神保 つまり、4年間も原発を稼働できなかったことを、肯定的に評価されているということですね。つまずいた結果、原発がより安全になったのであれば、4年間止めたことにも意味があったと思いますが、その点はいかがでしょうか。

吉岡 安全度は若干、高まったと思います。特にコントロール不能の過酷事故に対する対策を盛り込むようになったのが、新規制基準の一番の変更点です。数字では表現しづらいところですが、従来の2~3くらい、安全にはなっていると思います。

 ただ、原子炉本体については今のままでいい、ということになっている。設計は古いままでいいから、外にいろいろ安全装置を付けて、それらの動かし方についてマニュアルを整備すればいいと。ですから、本質的な安全性は保障されていません。原発事故の被害はとてつもない。賠償だけで5兆円、ほかの費用、例えば事故の収束のための費用なども含めれば、すでに11兆円余りが使われているという数字です。これから先、飛び散った死の灰の中間貯蔵施設が2兆円と言われています。福島第一原発の解体・撤去または老朽化にも何兆円かかるかわかりません。最終的には全部合わせて何十兆円もの損失になるでしょう。しかも4年半が経過したのに、12万人近くが従来の生活を取り戻せず、避難生活を送っている。

 これだけのことが実際に起こったならば、原発はやめるというのが当然でしょう。チェルノブイリの事故もありましたが、あれは旧ソ連という特殊な国の特殊な原子炉でした。日本であのような事故が起きてしまったのだから、根本的に見直して、脱原発を進めていくというのが本来の判断だと思いますし、事実、ドイツはそれをやりました。なぜ日本ではできないのか、できるようにしたいと考えています。

なぜ、川内原発の再稼働に民意は反映されなかったのか?

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