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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【2】

幽霊、たかじんの遺体をめぐる争いを眺める。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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『まっとう勝負』(小学館)

  雑誌というものは虚実ないまぜであるから「雑」誌であり、本誌に書いてあることも半分は本当で、半分は嘘だ。実際の比率がどうかはさておき、だいたいそういうものだと思って読んでいる。特に本誌は実話誌(?)であるから、虚実の落差は激しいのだが、雑誌的なメディアはすべてそういう性格を帯びているもので、テレビもウェブも世の中も、結局は「雑」の中から選択している。

 だからこそ、雑誌というものは存在している。世間の虚実を凝縮した闇鍋の具とされるのは勘弁だが、食べる分にはわくわくするものだ。その一方で、人間の情報咀嚼力は自分自身が思うほどにはたいしたことがなく、ほとんどの局面で雑誌に収まる程度の情報量から物事を選択していることに愕然とするのだが、それ以上の情報量をすべて理解するために批評という高下駄を履くと、足をすくわれてスッテンコロリンと転ぶことになる。

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