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法社会学者・河合幹雄の法痴国家ニッポン【32】

「怒れる犯罪被害者」の実態との乖離と“許し”

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法と犯罪と司法から、我が国のウラ側が見えてくる!! 治安悪化の嘘を喝破する希代の法社会学者が語る、警察・検察行政のウラにひそむ真の"意図"──。

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酒鬼薔薇事件から18年
1997年の神戸連続児童殺傷事件の発生から18年目に当たる2015年3月、被害者の遺族が、加害男性(32)から命日を前に手紙が届いたことを公表。詳細は明らかにされなかったが、B5判8枚に渡って現在の心境などがつづられていたという。60年代以降、こうしたトピックが人々の関心を集めるようになり、犯罪被害者の権利確立、遺族への支援拡充を求める風潮が拡大していった。


 今回は前々回に続き、一般に身近とはいえない殺人被害者の遺族の実像に迫ってみたいと思います。本題に入る前に、前々回の内容を簡単におさらいしておきましょう。

 まず、殺人というのは、無辜の市民が見知らぬ者に突然殺害される犯罪である、という一般的なイメージに反し、約9割が知人間、5割以上が親族間で発生していること。また、なんら責任のない“無垢な殺人被害者”はかなり希少であること。加えて、ごく普通の社会生活を営む市民が殺人の被害に遭う可能性は極めて低いこと。そして、それらの事実が、犯罪被害者に対する国民の理解が深まらない一因となったことを、各種犯罪統計をもとに論じました。

 ところが1960年代以降、従来は救いの手を差し伸べるべき存在として認知されていなかった犯罪被害者と遺族がにわかに脚光を浴びるようになった。その背景を探るのが今回のテーマですが、前々回と同様その前に、殺人被害者の遺族の実像を明らかにしたいと思います。ここでいう遺族とは、一般的な“殺人被害者”イメージに近い、善良な市民が犠牲となったケースにおける被害者の家族のことです。

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