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神保哲生×宮台真司「マル激 TALK ON DEMAND」 第101回

科学鑑定の誤解で生まれる冤罪の構図と検察の欺瞞

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『林真須美の謎―ヒ素カレー・高額保険金詐取事件を追って』(ネスコ)

――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

[今月のゲスト]
河合潤[京都大学大学院工学研究科教授]

――1998年7月、和歌山県和歌山市園部地区で行われた夏祭りで、振る舞われたカレーに毒物が混入する事件が発生、死者4人、中毒者63人を出すという惨事となった。この事件の容疑者として逮捕された林真須美被告の死刑が確定するも、いまだ捜査には疑問が残り、事件の全容解明には至っていない――。


『和歌山カレー事件』の経緯

 1998年7月、和歌山県和歌山市園部地区で行われた夏祭りにおいて、炊き出しに出たカレーに毒物が混入、4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になる事件が発生。

 同年10月、林健治・真須美夫妻が、保険金詐欺事件で逮捕され、12月、真須美被告がカレー事件で再逮捕。

 99年5月の一審初公判で、真須美被告は容疑を否認したものの、02年12月、和歌山地裁は死刑判決を言い渡した。05年、大阪高裁が控訴を棄却。09年4月、最高裁が上告を棄却し、5月に死刑が確定。

 これについては林真須美被告は、一貫して犯行を否認、もしくは黙秘を続けているが、同年7月、真須美被告の弁護団が、再審請求書を提出し、再審請求書補充書の提出を重ねながら現在に至る。

神保 今回は、マル激では何度も取り上げている和歌山毒物カレー事件を例に、科学鑑定について議論していきます。現在、犯罪の立証においてDNA鑑定が絶対視されるようになっていますが、DNAが一致したかどうかには高い関心が集まる一方で、そのDNAがどこから採取されたものなのかなどは、あまり問題にされません。DNA鑑定がどんなにすごい技術だったとしても、採取すべきDNAが正しい場所から正しい方法で採取されていなければ、何の意味もないのですが、昨今の科学鑑定では、そうした基本的な部分が置き去りになっている面があるように思います。

宮台 複雑な社会では、誰しも全体性を見通せないという不安を抱くので、局所的な領域における信ぴょう性やもっともらしさが全体を支配する、ということが起こりがちです。アメリカの法学者ローレンス・レッシグは、「インターネット化を背景に、著作権法が徹底的に厳格に適用されるようになれば、そもそもの立法目的が損なわれ、私たちの生活世界がめちゃくちゃになる」と指摘しています。司法でも、これと同じ問題が起こっています。

神保 和歌山の事件についてはすでに林真須美被告の死刑が確定していますが、その「証拠」をめぐっていくつか問題点があることは今までも取り上げてきました。今回は林真須美被告の犯行を裏付ける唯一といってもいい物証に、科学的、かつ初歩的な瑕疵があると問題提起をされた専門家、京都大学大学院工学研究科教授の河合潤先生にスタジオにお越しいただきました。まず、河合先生と和歌山毒物カレー事件との接点からお教えください。

河合 4~5年前に再審請求弁護団から「鑑定書が専門的で難しいので解説してほしい」と頼まれました。どうやら、さまざまな専門家に頼んだが誰も解説してくれず、最終的に私のところに来たようです。鑑定書の現物を見たことがなかったので、読んでみたい、という興味もあって引き受けました。

神保 マスコミにも大きく取り上げられた事件【事件のあらましは別枠参照】ですが、 最高裁において死刑が確定したにもかかわらず、再審請求が続いている理由としては、判決の中で非常に重要なポイントとなっていたヒ素の鑑定内容に問題があるという指摘が根拠になっています。そして、その指摘をされているのが、河合先生ということになります。

 具体的には真須美被告の死刑判決の根拠として、
【1】林家にあった亜ヒ酸とカレーに混入された亜ヒ酸の組成が一致した。
【2】真須美氏の頭髪から高濃度のヒ素が検出された。
【3】ヒ素を混入できたのは真須美氏だけで、見張りの時の挙動も不自然。
【4】ヒ素を使って人を殺害しようとした前歴がある。
【5】全面否認して反省の態度を示していない。

 といったものがあります。そもそも夫の健治氏が、かつてシロアリ駆除の仕事をしていたことがあり、林家にはヒ素が残っていました。また、和歌山県の園部一体はミカン栽培が盛んで、ミカンの甘味を出すためにヒ素が使われているそうです。

 また、林夫妻がヒ素を使った保険金詐欺を働いていたことは、夫の健治氏が認めていて、実際に健治氏はその後、保険金詐欺で有罪判決を受けています。繰り返し保険金詐欺を働いてきた夫婦なので、真須美被告の頭髪からヒ素が検出されたこと自体は、それほど驚くことではありません。

 今回、死刑の根拠となった中で物証は、【1】の亜ヒ酸の組成が一致と、【2】の頭髪からヒ素が検出の2つしかありません。【2】については前述の通りです。【1】に関して、林家の容器についていたヒ素と、カレーにヒ素を入れる際に使用したとされる紙コップに付着していたヒ素の組成が一致した、というのが鑑定の結果で、それが大きく報じられ、判決にも寄与しています。その報道に触れた多くの人が「それならば犯人は真須美被告で間違いない」と感じたことでしょう。

 ところが、このヒ素の組成が一致したという点が曲者で、そもそも当時和歌山周辺で流通していたヒ素は、同じ中国の鉱山で採取されたドラム缶60缶が日本に輸入され、缶のままか小分けにされて流通に乗せられたものだったのです。

宮台 同じ会社の同じ工場で作られたヒ素は、それぞれに小分けされて売られていても「一致」するのは当然です。問題は、不純物まで同じかどうか。マスコミは「一致」がどういうことかを間違えています。亜ヒ酸の組成が一致しただけなら、本来は「だから何?」というレベルの話です。

神保 繰り返しますが、問題の亜ヒ酸は中国の鉱山・工場を経て製品化されたもので、日本のある会社が輸入販売していました。したがってその会社が販売した亜ヒ酸は、すべて同じものです。

 河合先生があらためて鑑定書のチェックを行った結果、裁判で出されていた「中井鑑定」(東京理科大学・中井泉教授による)に、次のような問題が見つかったそうです。「『同一起源』を証明して『同一物』と断定」「1:1デンプン入り亜ヒ酸を紙コップに汲み取ると99%に高純度化する」「真須美被告の頭髪の分析は1本」「頭髪からの亜ヒ酸の検出を『外部付着』と証言」「紙コップだけルーツが違う」。こちらについてご説明ください。

河合 アンチモンなど、ふだん耳にしないような元素が概ね同じ割合で入っており、「同一起源」ということは間違いありません。どれも同じ中国の工場で精製されたものであり、例えばメキシコ産と比較すると、明らかに違います。しかし、それをもって、事件に使われた亜ヒ酸が「同一物」とはいえない。同じ事件で鑑定を頼まれたほかの鑑定人に聞くと、鑑定書を書いて検察のチェックが入った時、「最後に『同一物』という文言を入れてほしい」と強く依頼されたそうです。彼らは最後まで科学的に正しい「同種」という結論を主張したそうですが、おそらくこの中井鑑定も同じような要望が検察から出されたのでしょう。

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