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【premium限定 短期集中連載】「マッチョ」と「ヘタレ」で斬る!現代格差論 最終回

エリートなんて庶民にとってのインフラ- 日本的ヘタレの作法が世界のリーダーシップを執る!?

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――「格差」が社会論の中で常に中心におかれ、「勝ち組/負け組」というキーワードが一般化した昨今。政治、経済、文化などなど、現代社会における人間のあらゆる営みで生じている、ゆがみやきしみ、構造不全、機能不全といった諸問題を、マッチョとヘタレという視点で整理し、解決の糸口を探ってきた本連載。最終回となる今回は、では、これからの日本や世界で、どうマッチョとヘタレという構造を使っていけば、格差を是正し、安定した社会を運営できるのか、というまとめにはいっていく!!!

【バックナンバー】
■第一回「マッチョ主義からヘタレ中心主義の転換が日本を救う」
■第二回「与沢翼的な"信者ビジネス"にハマるマッチョワナビーたち」
■第三回「会社内部で"出世しないでも自由に働く"サラリーマン処世術とは?」
■第四回「AKBが表す日本の社会に芽生えた競争意識」

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『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン (講談社現代新書)』

クロサカ これまで「マッチョとヘタレ」というアングルから、主にバブル期以降の日本社会や経済の変様とか、人々の意識の変遷を辿ってきたわけですが、今回でひとまず、この対談の総括をしてみようかと考えています。

 これまでの連載では、格差の拡大を背景にしたエセマッチョやマッチョワナビーの出現とか、アイドルやアニメといった日本のポップカルチャーが世界においてどう機能しているかなど、視点や切り口はなかなかバラエティに富んでいましたよね。

 そうですね。当連載の1回目でも軽く触れましたけど、ここで軽く結論じみたことを言ってしまうと、僕は「ヘタレ中心社会」こそが、次の時代のグローバル倫理になると考えています。

クロサカ ヘタレが世界を制するということですね! ウェ~イ!

 まあまあ(笑)。柴山桂太さん(京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。著書に『静かなる大恐慌』(集英社)など)や中野剛志さん(経産官僚。現在、経済産業省特許庁総務部総務課制度審議室長。著書に『世界を戦争に導くグローバリズム』『TPP亡国論』〈共に集英社〉など)といった論客も明確に指摘しはじめているけど、「グローバリゼーションはたいへん結構だけど、経済運営についてはグローバリゼーションより、まずはそれぞれの国が自国の責任で促進させていくのが大前提でしょ」という論調がとても強くなっていますよね。要は「ある国を発展させるために、別の国が犠牲になって、身を削らなくちゃいけない……なんて状況はおかしいでしょ」ということ。

クロサカ でも特にこれからの日本は、経済成長を考えるのに輸出ということを前提としないと、厳しそうな気がします。というか、僕らがもう刷り込まれまくっている、というか。

 ここは少し詳しい説明がいると思います。国の経済成長というのは、さまざまな産業分野で生産と消費のサイクルが金銭ベースで増加することの総体です。増加するためには、消費量を増やすか、消費価格を増やすか、しなくてはならない。でも、国内の消費者がもっと消費するとか、もっと高い価格で買うとかあんまり想定できないので、簡単に言うと、海外の消費者を狙うということになります。これが輸出志向経済ですね。

クロサカ それこそ「円安でウェ~イ」みたいなムードも、そういうことですよね。

 ところが、だいたい輸入する側の国にも同じような商品の生産者がいて、その人は海外からやってくる商品に負けて廃業の危機に追い込まれるわけです。これを、一面から見たのが、さっきの「ある国を発展させるために、別の国が犠牲になるのはおかしい」ということです。

クロサカ お前ら「円安でウェ~イ」もいいけれど、その裏側で泣いている海外の労働者やその家族のことも考えてみろ……ということですか。そうなるとなんだかいろいろシンドイです。そこまでの余裕が僕ら自身に残っているのかな。

 とはいえ、グローバリゼーションを推進する側にも、言い分はあるわけです。というのは、世界中の誰だって安く、よい商品が買えるのはいいことでしょう? だとすると、世界中でそれぞれの得意分野に応じて、生産を分担すればいい。そうすれば、世界の市場がいちばん効率的に回るようになって、消費者にいちばんいい世の中になる。この、国際貿易理論の基礎となる「比較優位論」という考え方にもとづいて、「だからこそ、市場をひとつにするグローバリゼーションは世界を幸せにする」と説明します。だから、一部だけを切り取ればA国が経済発展するためにB国に商品輸出をするのだと見えるけど、たぶんその影で、B国の何かがA国に輸出されていくのだろうし、そもそも全体がよくなるんだからいいだろう、ということです。いや、より正確には、そうなるはずだろうと。

クロサカ うーん、そんな都合よくいかない気がしますね。

 そうそう。実際には政情不安な国との間ではそんな風にならないし、いや、普通の国どうしの間でもそんなにキレイにはいかない。それに、一国内である産業が崩壊して別の産業が伸びるとしても、労働者はそう簡単にはコンバートできないわけですよ。

クロサカ そりゃそうです。なにしろ僕らは「人間だもの」。

 だから「自由貿易」の理念はけっこうだけど、その調整はそれなりに時間をかけてやろうよと。短兵急にやると、それで困る産業が出たり、社会問題を惹起したりするよ、という意見がでてくる。

 ある程度ゆっくりなら、ある労働に特化した人材に対して、急に「仕事を変われ」と迫ることではなく、息子が別の仕事を選ぶみたいなことで調整できる。家業を継がせるとか、伝統とかなんとか言われると辛いけど、それは贅沢だとも考えられるし。そして、このグローバリゼーションというやつが、確かに「正義」ではあるけど、結局は各国の「発展主義」で加速されているんだと考えると、だったらグローバリゼーションは少しその速度を緩めてもいいんじゃないかと。そうなると、むしろ国内の消費者に対してより高い、つまりより高付加価値な商品を買ってもらうようにしよう、そういう魅力的な商品を開発するところに傾注しようよ、となる。
 
クロサカ うーん。どちらの立場を取ればいいのか。さらに言えば、選んでる余裕が僕らに残ってるのか。すごく難しいですね。

 まぁ、所詮はバランスで、両極端の間に解はあるので、そうそう対立的に考えちゃいけないんですけどね。ただ、ひとつの国が「自律的に」発展していくことを考えると、中産階級が中産階級としての幸せを享受できる──ちゃんと仕事があって、それなりの収入が得られて、そこそこの生活が担保されて、とりあえず自尊心を失うことなく、自分なりに張り合いのある暮らしを送ることができる──という状況が、非常に重要になってくる。それがあって初めて、中産階級が消費活動に意識を向けるようにもなれるわけで、結果、その国の経済発展を支えられる国内経済のサイクルが回るようになるんです。

クロサカ 生産から消費まで、一応自分のことは自分で面倒を見るつもりがあって、それほど極端に(海外を含めた)他人様に迷惑をかけることもなく、かといってただ黙って(こちらも海外を含めた)マッチョに従うわけでもない、つまり“成熟したヘタレ”を増やしていかなければならない、ということですよね。そして、それを実現するためには、前回までで議論した「マッチョの作法/ヘタレの作法」をそれぞれが弁えていなければならない。

 ええ。シンプルに言ってしまうと「お互い、ちゃんと役割分担すればいいじゃん」ということ。だからこそ、マッチョはヘタレのことを、ヘタレはマッチョのことを理解する必要がある。「努力は必ずむくわれる!」「カネ持ちになりたいだろ!」「夢を持って努力すれば俺のような勝ち組になれるぞ!」なんてヘタレを煽って、実態としてはただ搾取しているだけ、みたいな悪いマッチョとか──いや、それは言い過ぎか(苦笑)、勘違いしたマッチョに対しては「ちょっとちょっと、そういうやり方は違うだろ!」とヘタレ側も調整を促さなきゃならない。

クロサカ 調整と役割分担って、非常に大切です。マッチョとヘタレは背中合せの関係。だから、お互いの役割を理解して、一方に偏ることなく、バランスを取り続けないとどちらも倒れてしまうんです。そして「オマエがいるから俺がいる。俺がいるからオマエがいる」という構造を理解しているからこそ、調整が可能になるんですよね。「このタイミングなら、とりあえずコレを選択しよう」「いまはこういう社会情勢だから、ここまでは譲歩しよう」といったバランスは、双方の役割や領分を弁えたうえで、互いに尊重しあう意識がないと成り立たない。

 アメリカ型のマッチョイズムは、マッチョがヘタレを支配する構図が肯定されていることが始まりです。ポジティブシンキング至上主義というのは、どんなヘタレでもマッチョに生きられると誘いながら、実はその裏で、マッチョにならなきゃヘタレは支配されるんだと認めている。まあ、そういう極端なマッチョイズムは論外として、この連載でも再三言っているように、国にはマッチョの役割を担って経済や社会を牽引してくれる人がいないと成り立たないのも、また事実なんです。そして、さっき出てきた「成熟したヘタレ」は、マッチョの存在意義や裏表をちゃんとわかっている。

クロサカ あー、なるほど。「ヘタレの皆さん、ハンバーガーおいしいですよ! もっとハンバーガー食べましょう!!」というマッチョに対して「でも、オマエはそういう裏で高級ステーキとかヘルシーフードを食べてるんだろ」と思いつつも、「とはいえ、ヤツらはそう言わないといけない立場なんだよな」と理解しているヘタレ、ということですね。で、「たしかに、ハンバーガーはハンバーガーで美味いもんな」と自分なりに幸せを感じたりできる。

 そういう成熟したヘタレこそが、僕が言っている中産階級の本質なんです。そしてそんな中産階級を増やしていかなければならない。ただ、役割分担論を考えると、自分がマッチョかヘタレか、明確に理解し、弁える態度が大事なんですが、他方で国としてはマッチョに頑張ってほしい。「発展主義」的な考えもあってマッチョでなければダメなのだと煽る。

クロサカ どっちやねん(笑)

 ここで、僕が気になっているのは、社会や経済がマルクス的な文脈からマズロー(※)的な文脈に変化して、そこでどう社会システムを調整すべきか苦悩してしまっているんじゃないか、という視点。モチベーションが、生存に必要な物資の確保や金銭欲から、自己満足感にシフトしてしまった感覚が、非常に強くて。(※編集部註:アブラハム・マズロー。アメリカの心理学者。「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階のピラミッドで体系化した「自己実現理論」を提唱。5段階は下から順に「1:生理的欲求」「2:安全の欲求」「3:所属と愛の欲求」「4:承認(尊重)の欲求」「5:自己実現の欲求」)

クロサカ とくにこの3年くらいで、SNSなどで「承認欲求」という言葉がとても頻繁に用いられるようになったと感じます。東日本大震災のあとくらいかな、金銭価値以上に承認されることが重要、それこそが自分の価値……みたいな意識が、ソーシャルの文脈にうまいことハマって、妙に高まってしまったというか。

 そうそう。そして、これが「煽られているマチズモ」であるが故に、最上級の「自己実現」じゃなくて「所属と愛」「承認」という中間の欲求に対する意識を妙に肥大化させている印象があります。おそらく、マッチョ化している人々の中にも、かなり無理をしてマッチョやってる人がいるんでしょう。

クロサカ この連載で生まれた言葉で言えば「エセマッチョ」ですね。

 それが自分でもわかるが故に、マッチョになろうとする可哀想なヘタレが所詮は金蔓だと気付くし、そしてそれを煽ることで金を稼いでマッチョとして成り上がろうという二流の手法を選択させてしまう。

クロサカ しかも、一方で承認欲求みたいなものが喧伝されるわりに、他方ではものすごく刹那的にもなっていて、承認と敵対みたいなの感覚がひたすら消費され続けているような。でもそれ自体もすごくエセマッチョ的なんですよね。彼らの代表的な手法である情報商材みたいなのも、結局そのコミュニティへの帰属意識を高めることで自分が承認されるというメカニズムだし、その帰属意識を表現する最大の手段は、ヘタレを勧誘して仲間を増やしていくというものになる。しかも違う流派だったり、自分の勧誘に乗らない人を、あからさまに排除していく、みたいなね。

 そうなんです。そして、エセマッチョの価値観だけを強調しちゃうと、その存在そのものがヘタレの自己否定感に繋がるんです。自分はダメなんだと思ってしまう。「マッチョの俺スゲー」みたいな自己愛とか、あるいはキラキラ感ですかね、そういうのが隣りで禍々しい輝きを放つことで、それに毒されてヘタレにとっての「所属と愛」「承認」という2レイヤーが傷ついてしまうんですよ。

クロサカ その自己否定感によって、ヘタレがまたエセマッチョのエサにされてしまうという……いかんなあ、これは。

境 だからこそ、マッチョのお作法が重要になる。彼らが、「自分たちはたまたまエコシステムの中での位置づけ的に"お金が集まり、お金を回す"部分を担っているだけだ」と自分たちの成功を謙虚に理解したときに、自分たちのパワーの源であるヘタレの存在を尊重できるようになる。また一方で、成熟したヘタレは、マッチョのことを過剰に羨むこともない。いや、本音の部分では多少羨ましさをおぼえたりもするかもしれないんだけど、自分がマッチョになれるわけもないので、「どうぞ、そちらはそちらの仕事や生活をしてください」という態度になる。ヘタレ中心社会が理想形になると、ヘタレの視野からマッチョは消えるんですよ。もしくは、ほとんど気にならないような存在になる。

クロサカ マッチョが社会インフラのようになる感じでしょうね。

 そうそうそう。エリートなんて庶民にとってはインフラなんです。さらに言うと、マッチョには下手に自意識なんて持たせないほうがいい。個人としては、そりゃいろいろな思いはあるだろうけど、自意識をたぎらせて、対外的に撒き散らすような言動は、作法に反する。マッチョはインフラとしての役割をまっとうすればいいんです。

クロサカ スタートアップ界隈でよく語られる警句に「社長がいちばん下であることに気づけ」というのがある。ベンチャーを立ち上げて、CEOなんて立場になった人間が「俺、カッコいい」なんて自意識を持っているようだと、だいたいその会社は失敗するんです。自分が雇った従業員のために働くことが社長の仕事であり、まわりの従業員が自分の社長に見えるくらいの感覚が持てないと、やっていけない。本当の意味でのリーダーシップを発揮できる人って、そういう構造がわかっていますよね。自分が組織のいちばん下を支える、何かあったときは自分が最初に波をかぶる……そういう意識を持っているものです。

 それを、昔の人たちは「ノブレスオブリージュ」とか「仁」とか呼んだのかもしれませんね。結局は役割分担。そして、「市場を切り拓くマッチョ」というイメージは、マッチョの社会的地位の上昇を目指した不遜な挑戦を尊びます。そんな挑戦をする人間が自分の役割なんてわかるわけないじゃないですか。むしろ、勝てるマッチョを生み出そうとすると、そういう不遜なマッチョを持ち上げて、その副作用として自尊心が毀損されたヘタレを増やしてしまう。これこそが、資本主義経済のいちばんのアキレス腱なんじゃないかと、僕は思っています。その意味では「お客様は神様です」とか「消費者が第一」なんてキーワードを生み出した日本経済は、とても賢かったんですよ。組織運営もそう。社長がへりくだり「社員のみなさんと同じ地平にいますよ」と示すことで、社内のヒエラルキーにおける自尊心の毀損を最小限に収めようとしてきた。その中で、「役割分担」をわきまえて、不必要にマッチョに噛みついたり、妬んで足を引っ張ったり、別のヘタレに居丈高に振る舞わないみたいな「ヘタレのお作法」も生まれてきた。

クロサカ ヘタレの自尊心を毀損しないマッチョのお作法とか、マッチョとヘタレの役割分担といった視点は、単に日本だけの問題でなく、グローバル経済においても重要なものになりつつありますよね。

 アメリカも含めて、多くの先進国グループはヘタレ重視のフェイズに入ってきていると思う。アメリカにおける"国民皆保険導入の議論"などは端的ですよね。グローバル経済を意識しつつも、「みんなが幸せに生きるための方策を探さなければ」という調整の意識は、主要先進国のあいだで、ある種の危機感として醸成されつつあるんじゃないかな。そんななかで、日本はグローバルヘタレイズムを声高に提唱していかなければならない。

クロサカ 日本のヘタレ主義、ヘタレ文化が世界を救う(笑)。少なくとも、ヘタレをカルチャーベースでパッケージングできているのは日本だけじゃないでしょうか。それを輸出というか、ちゃんと海外にデリバリーして、ローカライズもして、落とし込んでいくというミッションを日本は負っている。

 クールジャパンの本質は、世界中に日本が培ってきたヘタレイズムをインジェクションすることだと考えます。要は、ヘタレの伝道師ですよ、ザビエルみたいな。

クロサカ だからこそ、ヘタレ中心社会の中核を担う僕ら日本の一般庶民が、成熟した中産階級にならなければいけない、ということでもあります。

(構成/漆原直行)

境 真良(さかい・まさよし)
1968年、東京都生まれ。経済産業省国際戦略情報分析官、国際大学GLOCOM客員研究員。経済産業省に本籍を置きながら、産官学それぞれでコンテンツ産業や情報産業、エンターテインメント産業の研究を行う。このほど、『アイドル国富論: 聖子・明菜の時代からAKB・ももクロ時代までを解く』(東洋経済新報社)を上梓。そのほかの著書に『テレビ進化論』(講談社現代新書)、『Kindleショック』(ソフトバンク新書)など。

クロサカタツヤ(くろさか・たつや)
1975年生まれ。株式会社 企(くわだて)代表取締役。クロサカタツヤ事務所代表。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティングや国内外の政策プロジェクトに従事。07年に独 立。「日経コミュニケーション」(日経BP社)、「ダイヤモンド・オンライン」(ダイヤモンド社)などでコラム連載中。


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