サイゾーpremium  > 特集  > タブー  > 【ラップ・フランセ】の過激表現

――風刺週刊紙「シャルリー・エブド」を襲撃したイスラム過激派の一人は、かつてラッパーとして活動していたという。その事実を不可解に思うかもしれないが、フランスにはムスリム系移民らによって育まれた"ラップ・フランセ"というヒップホップ・カルチャーがあるのだ。

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【1】映画『憎しみ』のDVD(ジェネオン)【2】『憎しみ』の音楽版『LA HAIN E』(Delabel)【3】Monsieur R「FranSSe」のPV

 フランスで起きたイスラム過激派によるテロ事件。風刺週刊紙「シャルリー・エブド」を襲撃したのはアルジェリア系移民2世の兄弟だ。概論部で述べられているように過酷な少年期を過ごし、弟は一時期ラッパーとしても活動していたというが、実はフランスには"ラップ・フランセ"と呼ばれる国産のヒップホップ文化がある。まずは、その成り立ちを説明しよう。

 戦後の高度成長期、フランスは労働力不足を解消すべく北アフリカや西アフリカなどから大勢の移民を受け入れ、彼らが住む大型団地(シテ)が大都市郊外(バンリュー)に多く建設された。だが、73年の石油危機以降、経済が停滞し、移民の多くが失業。バンリューは不法労働や薬物売買が横行し、スラム化した。そんな場所の移民2世・3世らによってラップ・フランセは育まれたのだ。音楽ライターの鈴木孝弥氏は、こう話す。

「ラップ・フランセは80年代に発展し始めたのですが、ヒップホップが生まれたニューヨークのゲットーとバンリューの環境は通じる部分があるでしょう」

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