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サイゾー×プラネッツ『月刊カルチャー時評』VOL.27

『機動戦士ガンダムUC』 ―― 40代男性の即物的欲望しか描けない”ロボットアニメ”の残念さ

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批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。

宇野常寛[批評家]×張 彧暋[社会学者]

 小説家・福井晴敏が原作小説を執筆し、OVAシリーズとしてリリースされてきたアニメ『機動戦士ガンダムUC』が完結した。アニメ版は足掛け4年かけた富野由悠季原作でない本作、賛否がわかれる作品となった──。

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物語の中核を為す、ミネバとバナージ(上)、フル・フロンタル(下)。

 『機動戦士ガンダムUC』(以下、『UC』)、おもしろくなかったわけではないのですが、はっきり言ってしまうとこれまでのガンダムシリーズの二次創作にすぎないというか、結局30年経っても富野由悠季さんの引力から逃れられていない、というのが全体の感想です。私は正直にいえばそこまでガンダムにすごく詳しいわけではないので、今回この対談の前に、香港のガンダムファンコミュニティで一番有名で”香港のシャア”いう異名も持つジョーイ・リョーンさんという方にも意見を聞いたのですが、彼も同じ感想でした。彼は「富野ガンダムと比べて新しい観点があるかどうか」という評価基準なのですが、その点で結局『UC』は富野ガンダムを超えることができずに、ガンプラの宣伝アニメにしかなれなかったのではないか、と。そうした発展性の無さがはっきりわかるのは、戦闘シーンと、誰かしらおじさんが主人公のバナージ・リンクス【1】に説教をするシーンを交代でやっているところですよね。全7話で、毎回同じようにその2つの場面を繰り返し続けるという、ある意味新しい(笑)様式美になってしまっていた。

宇野 僕はひたすらその説教が続くところにうんざりした。あの中で言われている説教は一行で要約できて、「世の中は複雑なんだから、多面的なものの見方をしていこう」程度のことしか言ってないんだよ。普通に社会に出て働いたりしていれば自然に学べることを、なんでわざわざロボットアニメで言わないといけないんだ、と思う。あの説教からは、バブルには間に合わなかったけどネット以降の本当の”ニュータイプ”の世界にも間に合わなかった、中途半端な自意識を抱えてうじうじしている40代くらいのオッサンたちの無駄に高いプライドと自信のなさだけが伝わってくる。説教の部分を全部取り払っても『UC』のストーリーって成り立つでしょう。わざわざ限られた分数を割いて、絵を停滞させてまで原作者である福井晴敏が説教にこだわったというのは、ある種の戦後日本人男性のメンタリティの弱さがここまで及んでしまっているという症例としておもしろかったくらいだよ。

 宇野さんは「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)の連載で『UC』について、フル・フロンタル【2】の立場をプラグマティズムとし、バナージ・リンクスの側を陰謀論者だという図式で論じられてましたね。私は国際関係論から考えると別の見方もできると思っていて、あれはリアリストと社会構築主義者の図式ともいえるんじゃないか。フル・フロンタルのほうが、権力と金で交渉を行う現実主義者で、バナージはアイデアと理念を重視する社会構築主義者。

宇野 僕はフル・フロンタルはすごくいいと思う。なぜなら彼はリアリストでありながら、ちゃんとロマンを持っているから。一方でバナージたちは、「ラプラスの箱」に隠されたこの世界の秘密が暴露されれば世界は変革できると考えていて、これは完全な陰謀史観だよ。そこには日本の戦後民主主義のダメな部分が表れてしまっていると思う。ネット右翼や”放射脳”もそうだけど、イデオロギー回帰が陰謀論としか結びつかなくなってしまっているのが戦後70年のこの国の帰結なんだよ。そんなバナージ側が善玉であって、実現可能な達成を積み重ねていくことで理想を実現させようというフル・フロンタルが悪役になってしまうというのはすごく象徴的だと思う。

 それが日本の戦後図式だというのはわかるんだけど、たとえば私のような香港の人間が見たときにはまた少し受け取り方が違ってくる。それは「ガンダムがどうやって国境を超えるか」という問題でもあるんですが、香港は1997年に中国の一部になって、自治都市として成立した。つまり、宇宙植民地サイドです。そして中国が地球連邦にあたる。そうした状況で香港人が『UC』を観ると、現在進行中の香港を含めた東アジア政治そのままの状況に見えると思う。要するに、工業化に成功して経済的発展も遂げつつある中国が東アジアにその力を拡大している真っ最中に、香港あるいは台湾、そして日本がどうやって対応していくのか? という読み方です。そこでは、現実主義者であるフル・フロンタルのような、可能な限りの交渉カードを持って向こうと妥協していくという対話のやり方と、バナージのようなイチかバチか革命の可能性に賭けるというやり方は交互に繰り返されている。80年代以降の日本の戦後想像力で『UC』を読みとくと、宇野さんの言うようにプラグマティズムVS陰謀論という読み方になるのは賛成です。でももう少し広げて、ガンダムの東アジアにおける拡散の仕方を考えると、そういう捉え方もあると思います。

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