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町田 康の「続・関東戎夷焼煮袋」第21回

【イカ焼】――開放された私は調理済みの冷凍食品すら受け入れるのだった

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――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

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photo Machida Ko

 廃ったものと思っていたイカ焼が実は廃っておらず、隆盛を極めていた。
 
 この事実によって私の心は千々に乱れたが、なぜ私はそのように動揺したのか。一晩経って考えてみれば、それはすなわち非常に恥ずかしい思いをして自尊心が傷ついたということだ、ということがわかる。

 どういうことか。例えていうなら、困っているように見える人が居たので自分から近づいていって、「失礼だが、困っているようだね。ここに五百円ある。とりなさい」と言ったがモジモジしてとらない。そこで、「心配には及ばない。これは私の心よりの善意だ。さあ、とりなさい。遠慮しないで、さあ」と言ったのにまだとらず、そこで初めて訝しく思って相手の顔をよく見たらソフトバンクの孫正義社長だった、みたいな、ことである。

 けれどもまあ、間違ってしまったものは仕方がないし、それにいまの若い人は四十年前からいまにいたるまで、イカ焼がずっと隆盛を誇っていたように思うだろうが、私の経験上、三十年くらい前にいったん廃ったことは間違いがないし、それに隆盛など言って威張っているが、いまでもタコ焼に比べればぜんぜん大したことないっていうか、知らない人も多く、隆盛とか言いたいのであれば、タコ焼とは言わないが、好み焼とすら言わぬが、せめて文字焼くらいな知名度を得てからにして貰いたいと苦言を呈したくなる。

 それに、もっと考えてみれば私はもう五十を過ぎた立派なおっさんだ。人間五十年、といった昔であればもう死ぬ歳だ。そのおっさんが、まるで女学生のように、恥ずかしい思いをして心が乱れた、自尊心が傷ついて動揺した、なんていっているのはどうなのだろうか。

 おっさんならばおっさんらしく、豪快に、「孫正義に五百円、恵んだろ、ゆうてもうたわ。日本広しと雖も、ソフトバンクの社長に五百円やろ、ゆうたん儂くらいのもんやで。くはつはつはつはつはつはつはつ」と笑っていればよいし、それにもっというと、私は魂などというものは、まあ、人間の体内にあるのかも知れないが、あったとしても屁やクソと同程度の物質としか思っていない人間で、そんな私が、イカ焼が意外に盛り上がっていた、程度のことでいちいち動揺していられない。

 という風な論理で私は乱れた魂を整理して、真っ直ぐに整った状態にしたうえで、さあ、記憶の味、郷愁の味、イカ焼を再現し、これを食することによって、その効果を十分知って自らの感情を刺激して涙を垂れ流して、いやさ、もっと感情を解放して、小便も垂れ流しながらオイオイ泣き、床を転げ回って、よい気分に浸ろうかな、と思うのだけれども、何度も言うように、私はイカ焼の作り方がわからない。

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