サイゾーpremium  > 特集  > 社会問題  > 【EXO】って知ってます? 日本デビューグループに見るブームの推移
第1特集
K-POPバブル終焉、その本当の理由【2】

K-POPバブルはいかに膨らみ、いかに弾けしか──パク・ヨンハからEXOまでK-POPブームの推移

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――00年代後半から現在にいたるまで、スピーディーに盛り上がり、そして衰微していったK-P0Pの狂騒を、日本デビュー組と共におさらいしてみよう。

【~2008】

■BIGBANG、東方神起上陸!
受け入れ態勢整え期

【政治情勢】
サッカー日韓W杯開催(02年5月)/日韓通貨スワップ協定締結(05年)/島根県議会、竹島の日条例成立(同年3月)/韓国、親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法公布(同12月)/パン・ギムン国連事務総長就任(07年1月)。日本海を“東海”、“竹島は韓国領”と表記された冊子が国連行事で配布される/李明博大統領就任(08年2月)

【K-P0P日本市場動向】
90年代後半から女性アイドルなどを日本進出させる動きはあったものの、定着には至らず。04年、韓国ドラマ『冬のソナタ』のヒットをきっかけとした“韓流ブーム”で俳優が歌手として日本進出し、中高年女性の間で人気を博した。05年、東方神起が所属事務所の先輩・B0A同様、“J-P0Pアーティスト”として日本での活動を開始し、じわじわと浸透。08年、彼らが日本オリジナル曲ではなく、韓国曲の日本語版でオリコンチャート1位を獲得したあたりから、日本で“K-P0P”というジャンルに注目が集まり始めたといえそうだ。

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【この時期の日本デビュー組】
パク・ヨンハ
『冬のソナタ』の出演俳優で、「冬ソナブーム」にあやかって日本では歌手として活発に活動し、おばちゃんファンたちのハートを鷲掴み。しかしその後、さまざまな不幸に見まわれる不運な時期を送り、10年6月、ソウル市内の自宅にて首吊り自殺。


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FTISLAND(エフティーアイランド)
08年から日本に短期留学、インディーズデビューなどを果たした5人組バンドアイドル。その後、10年5月にシングル「Fl0wer R0ck」で正式に日本メジャーデビュー。メインボーカルのイ・ホンギは俳優として日韓で活動歴アリ。


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東方神起
日本ではJ-P0Pのグループとして05年にデビュー(当時は5人組)。08年1月のシングル「Purple Line」で初のオリコン週間チャート1位を獲得。一連のK-P0Pブームを牽引する存在であったが、ブレイクを果たした矢先の09年に分裂騒動が発生。現在は2人で活動中。


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BIGBANG
08年10月アルバム『Number 1』で正式日本デビューを果たし、09年6月、初の日本語シングル「MY HEAVEN」を発売。日韓で東方神起と人気を二分した、K-P0Pブームの立役者的グループ。彼らのファッションを真似るファンも多かった。最近はソロ活動も活発。



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