サイゾーpremium  > 連載  > 友達リクエストの時代  > 【小田嶋 隆】友だちを「数」としてカウントするSNSの考え方
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友達リクエストの時代【第17回】

友だちを「数」としてカウントするSNSの考え方は人間をバカにした発明だ

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SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。

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和田秀樹『スクールカーストの闇 なぜ若者は便所飯をするのか』(祥伝社黄金文庫)

 3月2日、昨年8月に、三重県で中学3年生の女子生徒が殺害された事件の容疑者として、前日に高校の卒業式を終えたばかりのひとりの少年が逮捕された。

 私が注目したのは、その容疑者のプロフィールを伝えるメディアの口調というか語り口だった。

 3月4日付の朝日新聞は《「優しく真面目な子が」知人ら驚き 中3殺害容疑の少年》という見出しで、以下のような記事を書いている。

《(略)少年が通っていた高校の同級生の少女(18)によると、少年は、女子に優しく、男子にも好かれていて、成績も良かったという。卒業式当日は、友人らと写真を撮り、別れるのが残念そうな様子を見せていたという。少女は「クラスの仲間と学校行事にも取り組むタイプで人気者。信じられない気持ちです」と話した。(略)》

 つまり、まあ、容疑者の少年は、メディアが想定する「典型的な少年犯罪の加害者像」とは、違ったタイプのキャラだったということだ。

 このこと自体は、さして意外なことではない。そもそも、見も知らぬ人間をいきなり殺害するような少年は、どこから見ても例外的な存在であって、その、そもそも例外であるような人格をつかまえて「典型」もへったくれもないという、それだけの話だからだ。

 が、メディアは「典型」を好む。というよりも、彼らは、自分たちがあらかじめ織り上げた「物語」の枠組みに、事件を当てはめにかかる。特に、少年が主人公になる犯罪においてその傾向が強い。メディアは、何回も使いまわされているコントラストのはっきりしたプロットを使いたがる。すなわち、「孤独で、尊大で、社会に対して復讐感情を抱いている狷介不羈な少年が、何の罪もない対象に向けて、突発的な怒りを爆発させる」というストーリーだ。

 ところが、容疑者として逮捕された少年は、彼らの予断と違っていた。彼は、友だちの多い、「人気者」だった。中学校時代は野球部で活躍しており、近所に住むご老人は、少年が「父親や妹と一緒にキャッチボールをしている姿」を何度も目撃しているという。

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