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第1特集
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平安末期の”河原人”が始まり? 解き明かされざる被差別部落史の真実

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――教科書で習った被差別部落の起源「士農工商・えた・ひにん」は間違いだった? では、いわゆる被差別部落の起源はどこにあり、それはどのようにして現代にまでつながっているのか? なんとなく知っているようで知られていない、被差別部落の歴史に迫る!

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『もっと知りたい部落の歴史 近現代20講』(解放出版社)

 日本のマスコミにとって大きなタブーのひとつともいわれている被差別部落問題。被差別部落の人口流動や世代交代によって差別が表面化しにくくなっている現在、その歴史について、学校の授業やマスコミの散発的な報道以上のことを知っている人はあまり多くないのではないだろうか。

 被差別部落はいつごろ成立したのか。いかなる理由でどのように固定化され、それを社会がどう受け止めてきたのか。被差別部落の人々がどんな生活を送り、どういう経緯で差別反対運動を展開していったのか――。1990年代以降のグローバル化の進展とともに、歴史学界においては国民国家の相対化がブームとなったが、それとときを同じくして、実は被差別部落史もまた、大々的な見直しが図られようとしているのである。そこで本稿では、各時代の歴史研究者の見解を交えつつ、最新の被差別部落史に迫ってみることにしよう。

 被差別部落の起源はどこに求められるのか。それは差別反対運動に携わる人たちにとって、今も昔も、自らのアイデンティティに関わるきわめて重要なテーマだ。80年代までの歴史学研究において、被差別部落は、江戸幕府が民衆を分断して支配するため、「士農工商・えた・ひにん」という身分制度を定めた時点で成立した、と説明されてきた。いわゆる近世政治起源説である。しかし、90年代以降の実証研究によって、この図式は当時の実態にそぐわないものとの批判を受け、それに伴い、歴史の教科書から「士農工商」の記述がなくなったことはよく知られている。

 近世政治起源説に代わるものとして新たに登場したのが中世起源説だ。桃山学院大学国際教養学部特任教授の寺木伸明氏の解説によれば、中世起源説は、さらに中世政治起源説と中世社会起源説という2つの学説に大別されるという。

「平安末期から鎌倉初頭にかけて、民衆の中に、死んだ牛馬の解体や皮革業に携わる『河原人』、のちに『河原者』と呼ばれる人々に対する差別意識がだんだんと強まっていきました。それを前提とし、彼らが穢れた存在として社会から排除され、なおかつ当時の権力側が彼らにケガレを清める役を課したときをもって部落が成立した、というのが中世政治起源説です。それに対して中世社会起源説では、政治ではなく社会によって習俗的差別が生み出された中世初期こそが部落の成立時期である、としています」(寺木氏)

 一方、そうした中世起源説の研究成果を踏まえ、従来の近世政治起源説を見直した学説も唱えられている。近世政治・社会複合起源説とでも呼ぶべきもので、寺木氏はその代表的論者のひとりだ。

「近世権力が政治的作為のみによって突然被差別部落を作ったのではなく、中世末期に存在していた河原者や皮革業者といった被差別集団に死んだ牛馬の取得権を保証する一方で、行刑役・警察役・掃除役などの役負担を課すことによって、身分化を推し進めた。つまり、中世の被差別集団の存在とそれを取り巻く民衆の意識を前提として、最終的に権力者が政治によって被差別集団を『えた』として固定した、という考え方です」(寺木氏)

 どちらの説も、いまだ学界において定説とはなり得ていない。しかしいずれにせよ、中世にはすでに被差別集団が日本各地に点在していたこと、また下克上に象徴されるように、中世の身分制は流動的で、場合によって個人的には被差別的な立場からの解放があり得たことなどは確かなようだ。

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