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第2特集
創価学会と幸福の科学 "宗教と教育"最前線【5】

70年代の創価大学は学会幹部養成所? ジャーナリスト・乙骨正生が語る大学の思い出

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──現役の学会員は創大を高く評価しているが、創価学会そのものに反旗を翻した人物にとっては、同大学の教育はどのように映るのだろうか? かつて創大に通いながらも脱会したジャーナリスト・乙骨正生氏に聞いた。

僕は両親が学会員だったので、物心がついた時から創価学会は正しいと刷り込まれて育っていました。ですが1期生として創価中学に入ったものの、言論出版妨害事件【※1】に疑問を感じたこともあり、高校は一般の高校に進学したんですね。ところが中学の同窓会に行ってみたら、再会した友人の価値観がまったく変わっていない。学会の世界しか知らないから、視野が狭いまま。当時は僕も真面目な学会員だったので、この連中が将来幹部や公明党議員になったら、妨害事件のように、社会と学会に軋轢が生じ、両者にもマイナスだと思いまして、改革を訴えるべく、創価大学に進むことに決めたんです。

 ところが入学すると、そこは池田大作さんの天下獲りのための人材養成所でした。学生自治会とSSDと称する創価学会学生部の学内組織が厳しく統制していて、自治会の役員や活動方針などは、創価学会本部からの指示や意向で決まる閉鎖的なシステムができていたんです。だから僕が1年生のとき、学生自治会の法学部執行委員選挙に立候補したら「お前は民青の回し者か?」「乙骨は魔だ」と大騒ぎ(笑)。最初の選挙こそ候補が立ちましたが、以後は対立候補が出ることは事実上ご法度の信任投票が続いていましたから。

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