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ある芸人の赤裸裸笑(小)説「ニューヨーク戦記」第1回

芸人・中牟田の問題だらけのアメリカ留学の巻

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 彼はニューヨークに留学することを、22歳でお笑いを始めた頃から決めていた。理由は極めてシンプルだった。世界に通用するコメディアンになるには、英語圏でのコメディを肌で感じ、腕や経験、コネクションを得る必要があると思ったからだ。

 中牟田秀直、37歳。日本でお笑い芸人をやっている、妻子持ちの男である。日本ではすでにある程度名前が知られていたため、突然の海外留学に、世間にはいぶかしがる向きもあった。彼の妻は、以前から聞いていたことだっただけに、特に驚く様子もなく「いいんじゃない?」と軽く承諾してくれたものの、自身の両親には激しく反対された。だが、中牟田は意志を通し、ニューヨークに1年間旅立つことになったのである。

 そもそも彼がなぜ37歳で留学したのかというと、年齢的な問題が多分にあった。俗説では、25歳を越えるとほとんどの人間がほかの国の言語を流暢に話すことはできなくなるというが、遠からず当たっていると思う。37年間日本に馴れ住み、日本語を話し、日本の風俗や文化、価値観、言語感覚に浸りきった人間が、母国語ではない言語を使い、日本の価値観がほとんど通用しない市場に出て表現するには、できるだけ早く移住して多くを学び取る必要があると感じていた。

 海外でもやっていける自信は、最初からあった。だが、日本を出る前に金銭的なゆとりが多少欲しかったこと、日本である程度の実績を築いた上で渡米したいという思いから、自ら設けたタイムリミットが「40歳前」であり、なおかつ「一刻も早く」だったのだ。

 中牟田は、自分が日本社会の中で作られた価値観とは違う世界でも、コメディというジャンルで成功できる才能を持ち合わせていると確信していた。少なくとも英語で会話をし、日本人的な価値観――縦社会、わびさび文化、暗黙の常識文化――が通じないような場では「いい人」でしかいられない、典型的な日本人のイメージからは脱却できるだろうと。日本人は自分をユーモアと笑いの才能に溢れた民族だと思っているが、白人・黒人の前だと、ただの「真面目な人」になってしまう生き物だからだ。

 1月に留学を決意し、実際に旅立つまでには9カ月間の調整期間が必要だった。長年レギュラーで出演させてもらっていたバラエティ番組をすぐ抜けられないのが、一番の大きな理由だった。あとは着々と準備を進めるだけ......。はやる気持ちを抑える中牟田だったが、このときはまだ、後に自分の身に大きなトラブルが降り掛かるとは予想もしていなかった。

 留学出発の4カ月前、中牟田は東南アジアをプライベートで旅行していた折に、現地で美人局事件に巻き込まれてしまう。実際には少女と事に及んではおらず、しかもその国の法律ではその少女は成人に達していたにもかかわらず、「未成年淫行」というでっちあげの容疑で、地元の警察を名乗る人たちに拘束されたのだ。「金を払えば釈放してやる」と脅迫され、命からがら帰国した中牟田は、弁護士を立てて裁判を起こすことを決意する。

 彼は英語圏だけでなく、東南アジアの国でも、単なる「いい人」「真面目な人」となってしまったのだ。

 留学を取りやめようかという話も出たが、9カ月もの調整期間の上に「中止」では、かえって周りに迷惑をかけてしまう。さらに、これを逃したらもう行く機会はないんじゃないかとも思えたため、彼は意志を貫いた。


*****


 そして、裁判の準備も万全になったところで迎えた、留学出発の日。成田空港で予期せぬことが起きた。出発前に留学についてメディアのインタビューがあろうことは、予測していた。ところが彼を待っていたのは、突然のフラッシュ攻撃だったのだ。彼が驚いて振り返ると、カメラマンに同行していた写真週刊誌の記者が名刺を差し出し、矢継ぎ早に、しかも事細かく、まだ公になっていないはずの東南アジアの一件について質問をしてくるではないか。

「そこで、1000万円以上の金銭のやり取りがあったんですか?」

「地元の警察と、どんなやり取りを?」

 事前に行った留学発表の記者会見にはその者たちが現れなかったことからも、出発当日を待ち伏せての完全な「狙い撃ち」であることは明らかだった。一瞬戸惑うも、あまりにも記者が事件について詳しいので、思わず「この人に裁判をお願いしたら勝てそう」と感心する中牟田。それにしても、「旅の恥はかき捨て」とよく言うが、これではまるで「旅に行く前に恥のかき捨て」である。

 東南アジアの一件は、この時点ではまだ所属事務所と弁護士の間で書面上のやり取りをしていた段階だったため、外に漏れていないと踏んでいた。にもかかわらず、このタイミングで表に出たということは、はっきりとはわからないが、おおよそトラブルの元である東南アジアにいた現地の人間が、日本のメディアに情報をリークしたであろうことは想像できた。事はお金が絡んでいる問題なので、訴えられている側も必死なのであろう。

 しかし、困ったのは現場の対応である。記者からの質問にも対応しなければいけないが、その周りには普通に旅行に行く一般の方々もいるし、東南アジアでのトラブルの件をまったく知らないテレビのカメラマンもいる。これから晴れ晴れと留学に行くには、似つかわしくない前述のキナ臭い質問をぶつけられる中で、顔だけは殊勝に爽やかな表情を保っていなければいけないわけです。まるでヘルニア腰痛持ちの受付嬢なんです。ほかのメディアの方々に質問内容を聞かれたくないから、返す答えも大声で返し、しかも質問の途中で"食い気味"に答えなければいけないんです。突然の元カレ登場に、必死に身を挺して気づかれないように小芝居する、お気楽ドラマの1コマなんです。

 その上、運がいいのか悪いのか、台湾で買った「太極拳」という中国語の文字がプリントされたTシャツを着ている様子が、いかにも「アジア大好き!」な日本人男性であり、アジアのトラブルメーカーを象徴しているようでもあった。絶好の被写体だ。

 成田空港のゲートを過ぎた先に、事件について何も知らないテレビのカメラマンがたまたま空港内で居合わせていて、留学の話を振られる。

「実りある留学生活にしたいですね。この人生の決断に問題ない」と元気良く答える中牟田。「自分がニューヨークに着いてからが、メディアの報道的には問題ありありだぞ」と、内心思いながら......。

 ニューヨークまでは飛行機で13時間。機内では、所属事務所への今後の連絡手段や、これから明らかになるであろう自分をめぐる"さまざまな報道"について考えていた。なぜなら、彼はもうひとつ、東南アジアの件とは別のトラブルを抱えていたからだ。

 しかし、不謹慎にも彼はこの事態をちょっと面白いと思ってしまっていた。もちろん、日本に残された事務所としては今後、取材の対応に追われるなど大迷惑な話である。別のトラブルに関しては、後に事務所の女社長にもこっぴどく叱られた。だがこのときは、自分の話がどんなふうにメディアに流れるのか、その動向をはるか遠くで見るということに対して、まるで自分がセットしてきた時限爆弾を見守るような気分に思えていたのだ。

 JFK空港に着いてからタクシーに乗り、これから1年間通う語学学校の寮に向かうために運転手に住所を告げる。日本にちょっとかさばるお土産を残してきてしまったけど、ニューヨークでの新生活がいよいよ始まろうとしていた。タクシーの運転手は中南米のほうから移民してきたらしく、英語もひどく訛っている。中国語がプリントされたTシャツを着ていた中牟田のことを、中国人だと思っているようだった。彼はしきりに日本人だと主張するのだが、かたくなに信じてくれない。タクシーが着くと、そこは偽物ブランドの商品がたくさん並ぶチャイナタウンだった。住所を言ったときに、このチャイナタウンの住所と近かったのだろう。中牟田は間違えた場所に連れてこられたのはわかっていたけれども、その運転手に「サンキュー」と言い、チップも多めに渡してしまう。さっそくニューヨークに来て、「いい人」「真面目な人」ぶりを見せてしまったようだ。

 彼はどこに行っても、授業料が割高になる。<続く>


 ※この小説はフィクションです......ということにしておいてください。


ながい・ひでかず
お笑い芸人。07年9月、突如およそ1年間に及ぶニューヨーク武者修行へ。現地にて「ガチで笑いの取れる、数少ない日本人」との高い評価を得て帰ってくる一方で、私生活では女性問題が原因となって嫁に逃げられ、世間様から「ダメ人間」のレッテルを貼られる。


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