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サンミュージック会長と"迷走3人娘"の行方 山岸舞彩セクハラ問題の深層とは?

2013年6月21日 08:00

 芸能界の重鎮の死去に際して、松田聖子、桜田淳子、酒井法子という3人の“スター”の今後が注目された。さらに、美脚キャスターとして人気の山岸舞彩に対するセクハラ疑惑が報道されたが、当事者のYプロデューサーはハラスメントの常習犯ともされ、問題の根は深そうだ。そんな話題のニュースを、芸能マスコミの前線にいる男たち――A(スポーツ紙記者)、B(フリーの芸能ライター)、C(週刊誌デスク)―が語った。

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桜田淳子著『アイスルジュンバン』(集英社)

A ここ1カ月の芸能界のビッグ・ニュースといえば、サンミュージックプロダクションの相澤秀禎会長の逝去だろう。

B あまり知られていないけど、芸能界の長老7人からなる「ななの会」というのがあって、相澤会長もメンバーだった。ホリプロの堀威夫最高顧問、芸映の青木伸樹会長、第一プロダクションの岸部清代表、田辺エージェンシーの田邊昭知社長、長良プロダクションの故・長良じゅん会長、小澤音楽事務所の故・小澤惇社長が、そのほかのメンバー。時々、食事会やゴルフコンペを開いては、さまざまな”調整”が行われ、芸能界の流れに大きな影響を及ぼしていたとされる。

A 「ななの会」のメンバーは、バーニングプロダクションの周防郁雄社長やケイダッシュの川村龍夫会長らより一世代上で、”芸能界の実力者”といわれる彼らも口出しできない存在だった。ただ、小澤社長、長良会長、そして相澤会長と、ここ3年間で3人が亡くなってしまった。周防社長はもう70歳を越えているけど、「ななの会」の影響力が衰退したことで、ますますその発言力は大きくなるだろう。

MEMOサンミュージック会長
相澤秀禎のこと。若い頃から男性歌手の発掘を手がけ、西郷輝彦などをデビューさせる。その後、1968年にサンミュージックを設立。森田健作をはじめ、桜田淳子、松田聖子、早見優、酒井法子、安達祐実といった女性タレントを次々と世に送り出した。04年に社長職を長男に譲った後も精力的に活動を続けてきたが、13年5月23日、すい臓がんのため、83歳で逝去。

C 相澤会長といえば、5月28日の通夜に参加した、元サンミュージック所属の3人の女性の今後が注目されている。約16年ぶりに報道陣の前に姿を現した桜田淳子は、その外見の変貌ぶりにみんな驚いていたけど、統一教会(世界基督教統一神霊協会)の信者であることは変わっていなかった。桜田は1992年に統一教会の合同結婚式に出席して、青年実業家と結婚したことで大騒動になったんだけど、相澤会長は彼女の名前が統一教会の「広告塔」として使われることを極端に嫌がっていた。

A 信仰の自由はあるけど、桜田淳子という名前は、相澤会長が大きくしたようなものだからね。それが宗教活動に使われることは我慢ならなかったのだろう。タレントには優しい相澤会長も桜田が統一教会からの脱会を拒み続けると、事実上、芸能界から追放した。その後、桜田の復帰話が度々出たが、相澤会長が出す復帰条件は「統一教会からの脱会」。ここ数年も復帰に向けて2人は何度も会っているけど、その点が折り合わず、見送られてきた。

C ただ、相澤会長が亡くなったことで、桜田が脱会をすることなく、復帰する可能性も出てきた。コンサートをすれば、往年のファンを確実に集客できるだけに、大手の興行会社がアプローチしているともいわれている。復帰は意外と早いかもしれない。

B 復帰といえば、酒井法子。相澤会長の弔問に訪れた際、報道陣に「相澤会長に最後に会われたのは?」と聞かれ、「3年前です」と答えて、芸能関係者を唖然とさせた。あれだけ酒井について心配していた相澤会長に、昨年執行猶予が明けて仕事復帰する時に、なんら挨拶をしてなかったんだからね。相澤会長は、酒井からの連絡を待っていた。「地上波や映画には出たくても、覚せい剤事件の影響でスポンサーがつきにくい。だからこそ、僕がなんとかしなきゃ」と心配していたんだけど、親の心子知らずで、酒井は今は別の勢力に囲われている。

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