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お笑いタレント・ビートたけし×部落解放同盟委員長・組坂繁之 〈差別〉と〈笑い〉と〈権力〉との闘い【前編】

2010年9月17日 10:00

──7年前に雑誌誌上で対談したことがある2人が、久しぶりに膝を付き合わせた。前回から流れた月日は、日本の差別をめぐる状況にも変化を及ぼしたのではないだろうか。拡大する格差社会やネット社会。弱者がさらなる弱者に牙をむく歪んだ世界を、時に差別的な笑いを武器にしてきたビートたけしと、差別撤廃に向けた解放運動のリーダーはどう見るのか? 120分にわたった熱いトークの一部を公開する──。

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(写真/江森康之)

ビートたけし(以下、たけし) 前に(組坂)委員長と対談したのは、「新潮45」(03年3月号/新潮社)ですよね?

組坂繁之(以下、組坂) ええ、あれは、もう7年前ですね。

たけし あのときは、差別表現とか糾弾についての話を中心に聞いて、部落差別の歴史的背景みたいなものをあんまり聞いてなかった気がするんですよ。今日はそういうことから聞いていきたいんです。日本の場合、被差別部落の問題が表に出てきたのって、いつ頃のことですか?

組坂 現在の被差別部落問題は、江戸幕藩体制の身分制度によるものとの説が主流です。ただ、人間を差別する考え方や制度は、7世紀頃からの律令制によって、良民、賤民という区分けが出てきたあたりから始まっていたでしょうね。そもそもは、アジア的生産様式といわれた農業中心の社会の中で、農業活動が十分にできない障害者への差別は極端な例としてありました。障害者は、差別され、コミュニティから排除される存在だったんです。そのうち、支配する側は、そういう貶めるべき存在を意図的に作り出すわけです。江戸幕藩体制でも、人が嫌がる行刑の役割をさせたり、農地を与えなかったりして、被差別部落を貧困に追いやることで、農民に「上見て暮らすな、下見て働け」と言って、不満を抑えていたわけですから。現代社会でも、その頃の影響が残っているわけです。

たけし おいら、恥ずかしながら、日本の差別問題については鈍感で、身分制度というとインドのカーストを思い浮かべてしまうんです。話を聞くと、今でもかなり厳しいものがあるじゃないですか。階層が下の人は、上位の人と同じ水道の水を飲めないとか、トイレ清掃の仕事しかできないとか。映画の話でいえば、インドのムンバイでは「ボリウッド」といわれる映画産業が盛んで、年間700〜800もの作品を撮っている。ところが、ここにもカーストはあって、脇役はいくら人気が出ても、主役にはなれない。主役は、主役の家柄に生まれた人じゃないとできなくて、脇役はずっと脇役。身分の低い人は、危険を冒してスタントマンとかをやっているけど、けがして、歩けなくなったりする人が続出してるって。それでいて、たいした補償がない。それが、世界第2位の映画産業の裏なんですよ。

組坂 インドの話は重要なんです。日本の差別観念の源をたどると、インドのヒンドゥー教に行き着くんじゃないかと思ってます。カーストには、4つの階級がある。ヒンドゥーの神様でヴィシュヌというのがいまして、その口から生まれたのがバラモン(僧侶)、脇の下から生まれたのがクシャトリヤ(王侯騎士)、太ももから生まれたのがヴァイシャ(商人)、かかとから生まれたのがシュードラ(奴隷)、ということになっている。人間とはそういうものだと。そして、それ以外のアウトカーストといわれる人が、現在2億人近くいます。アウトカーストは、ヒンドゥーの神様から生まれていないので、人間以外とされてきた。そんな彼らはいわゆる穢れる職業とされる、食肉や皮革に関する仕事や清掃をやらされてきたんです。ある種、被差別部落民と一緒ですね。

たけし そこで、いつも不思議に思うんだけど、一番最初に「この人たちはアウトカーストだ」と、言った人がいるわけじゃない。そう決めた根拠はなんだったんでしょう?

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